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カテゴリ:金融の歴史( 61 )

あさが来たに出てくる両替商とは

 朝の連続ドラマの「あさが来た」の「あさ」が嫁いだ先の両替屋(両替商)とは現在の銀行のような役割をしていた。この両替商がどのような過程で生まれ、どのような業務をしていたのであろうか。

 天下統一を果たした徳川家康は全国支配を確固なものにするため貨幣の統一に着手した。当初は金貨を主体に流通させようとしたが、西日本では中国との貿易などに際し、銀が決済手段として長らく利用されており、いわゆる「銀遣い」がすでに支配的となっていたため、幕府としても追認せざるをえなかった。東日本では金が決済手段として用いられていたことで「東の金遣い、西の銀遣い」とも呼ばれた。このため、大坂の銀と江戸の金の交換で「相場」が生じ、時期などにより相場が変化する変動相場となっていた。

 金貨や銀貨に35年ほど遅れて1636年(寛永13年)に「寛永通宝」と呼ばれる銅銭が発行された。銅銭は庶民の生活に主に使われる補助貨幣といった位置づけとなっており、銅銭の発行は後回しとなった。

 このように江戸時代の貨幣体系は三貨制と呼ばれ、金貨、銀貨、銭貨が基本通貨として機能し、特に江戸においては金銀銭貨という三貨すべてが価値基準および交換手段に用いられていた。三貨制は世界の金融の歴史においても独特の形式であったとされる。

 両替商はこの金銀銭貨の交換ニーズを背景として登場した。両替とは「両」つまり主に東日本で使われた計数貨幣である「金」を、西日本で使われていた秤量貨幣である「銀」、もしくは小額の計数貨幣である「銭」と替えるという言葉からきている。

 さらに大坂の銀と江戸の金の交換で「相場」が生じ、時期などにより相場が変化する変動相場となっていたことで、手数料を取って両替をするという仕事が生まれた。これが鴻池(こうのいけ)や三井、住友を代表とする両替商(両替屋)である。

 両替のためには基準になる相場を決めなければならず、両替屋の大手が集まりその日の経済動向を読みながら相場を立てていた。この相場は大きな資金を動かす政府である幕府にも報告された。

 天下の台所と呼ばれた大坂では、全国各地の諸産物が集まり売買されていた。取引の多くは通帳などに基づき信用で売買された後に、商品ごとに定められた期日に代金が支払われた。この決済手段に使われたのが、銀目手形と呼ばれた手形である。このように大坂の商人は、可能な限り現金銀の取り交わしを避け、現金銀を両替商に預け入れ、手形によって決済するといった慣習が出来上がる。

 両替商はこの銀目手形(決済手段として利用された手形)の引き受け・決済や資金融通を通じ、大坂で発展した。さらに両替商は業務を広げ、商人や大名、そして幕府などを取引相手に、預金の受け入れ、手形の発行や決済、加えて、貸し付けや為替取引など各種の金融業務を広く営むようになる。このように両替商は現在の銀行業務に近い金融機関としての役割を担っていた。特に手形の決済制度などは、同時期の欧州など諸外国の金融システムに比べても、かなり発達したものとなっていた。この信用制度の確立により、さらに大坂での商業活動が活発化したのである。

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by nihonkokusai | 2015-11-05 09:27 | 金融の歴史 | Comments(0)

朝ドラに見る明治維新と金融

 NHKの朝のテレビ小説「あさが来た」が面白い。主人公のモデルは廣岡浅子という実在の人物であり、豪商三井家(のちに三井財閥となる三井家のひとつ)に生まれ、鉱山や銀行の経営に関わり、大同生命や日本女子大の設立に関わった人物である。

 浅子が嫁いだ先が大阪の豪商加島屋。加島屋は諸藩の蔵元・掛屋(米方両替)になり、大名貸で鴻池家と並び称された。この加島屋は普通の両替商ではなく、米相場の投資資金の供給も行っていた。

 大阪の米の取引といえば堂島である。着地取引として米の廻着を待たずに米切手が先売りされるようになり、米切手の保有している商人は米の価格変動リスクにさらされ、この米価の価格変動リスクのヘッジを目的として「売買つなぎ商い」という先物取引が考案された。この「つなぎ商い」が1730年に徳川幕府により公認され、堂島米会所が成立したのである。現在の金融先物取引の原型がここで形作られた。その米相場の清算機関(クリアリングハウス)のひとつが加島屋であった。

 そして加島屋のもうひとつの仕事が大名貸しであった。全国の諸藩は大坂の蔵屋敷を通じて年貢米のほか特産物を売却し、その資金で必要な物資を購入していた。蔵屋敷ではこれらの売買業務を商人に委託しており、産物の搬入や保管の業務は蔵元と呼ばれたのに対し、売上代金の回収や為替の取り組みなど金融に関する業務は掛屋と呼ばれ、大手の両替商が行っていた。

 諸藩の財政は主に米で成り立っていたが、年貢米の売却による収入が秋から冬に集中するのに対し、諸費用の支払いは毎月あることで、収入と支出に期間のズレが生じる。この季節的な収支不足調整のためのつなぎ資金を供与したのが、掛屋と呼ばれた加島屋などの両替商であり、この一時的な資金の貸付が「大名貸し」と呼ばれたのである。

 江戸時代後期になると、大名の財政はより深刻化し、幕府も江戸時代には江戸や大阪の商人から半ば強制的に御用金と呼ばれるものを徴収していた。これが明治維新によって貸付金は返済されず、証文は紙切れ同然となる。加島屋も深刻な状況となり、この窮地を救ったのが、「あさ」こと廣岡浅子である。

 このような、幕末から明治にかけての金融の大きな変化をNHKの朝ドラでみることができる。これはなかなか貴重なものと言えるのではなかろうか。

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by nihonkokusai | 2015-11-02 09:36 | 金融の歴史 | Comments(0)

中国が金利自由化、日本は30年前あたりから

 中国人民銀行は10月23日に、銀行が預金金利を決める際の上限金利を撤廃し、銀行金利を原則自由化すると発表した。すでに貸出金利の下限規制は撤廃しているため、制度上は銀行の裁量で金利水準を自由に決めることができる。これは人民元がIMFの特別引き出し権(SDR)と呼ばれる準備通貨に早期に採用されるよう、金融自由化に向けた取り組みを強化することが大きな狙いとされる(日本経済新聞)。

 特別引出権(SDR)とは、加盟国の準備資産を補完する手段として、IMFが1969年に創設した国際準備資産である。SDRの価値は主要4大国・地域(ユーロ、日本円、 スターリング・ポンド、及び米ドル)の国際通貨バスケットに基づいて決められ、自由利用可能通貨との交換が可能。2015年3月17日時点で2040億SDRが加盟国に配分されている(IMFのサイトより)。

 中国政府は人民元の国際化を目指し、IMFが設定している特別引き出し権(SDR)の構成通貨に人民元を採用するように要請している。今回の金融自由化に向けた取り組みはその一環とみられる。

 それでは日本の金利の自由化が始まったのはいつのことであったろうか。2015年10月21日は1989年に公開された「バック・トゥ・ザ・フューチャー 2」で、主人公マーティがタイム・トリップした1985年から30年後のその日であった。1985年はプラザ合意があり、債券先物も上場された年であったが、この年に日本では金利が市場の実勢で決められる大口定期預金が導入されていた。日米円ドル委員会作業部会報告書に基づいて、円の一層の国際化を含む新しい金利自由化の指針が1984年に提示された。1970年代後半から金利自由化が推進されていたが、これをきっかけに一連の金利の自由化が促進された。その後、1994年10月に民間銀行の金利は完全に自由化された。

 いまから30年前の日本は現在の中国といろいろな面で共通点があるとの指摘もある。日本では1964年に海外旅行が自由化され、高度経済成長期を迎えた1985年頃には日本からも大量の観光客が海外に出かけていった。中国では1997年に観光目的の海外団体旅行が解禁され、現在では中国からの多くの観光客が日本に押しかけている。30年前頃に日本が国際化を強めていたように、現在の中国も国際化を推し進めようとしていると言える。

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by nihonkokusai | 2015-10-24 11:35 | 金融の歴史 | Comments(0)

関東大震災と金融恐慌

 9月1日は防災の日、昔は震災記念日と呼ばれていた気がする。つまり、1923年9月1日に発生した関東大震災における遭難死者を追弔し、記念する日である。現在ではこの教訓を生かして防災について考える日となっている。今回はこの関東大震災による金融市場への影響について振り返ってみたい。

 1923年9月1日に発生した関東大震災によって、関東地方の企業は壊滅的な打撃を受け、損害を受けた企業は震災前に振り出した手形を決済することができず、それを抱えた市中銀行も資金繰りに支障をきたすようになった。政府はこのためモラトリアムを出して、9月中に支払期限を迎える金融債権のうち被災地域の企業・住民が債務者となっているものについては支払期限を1か月間猶予した。

 9月29日には震災手形割引損失補償令が出され、震災地を支払地とする手形や震災地に営業所を有していた商工業者を債務者とする手形等(震災手形)については、特別に日銀による再割引、つまり、銀行がもっている震災手形を日銀に買い取らせた。これに伴い日銀が損害を受けた場合は政府が補償することになったのである。

 時が経ち1927年1月、政府は日銀をはじめとする銀行の損失を補償するための国債を発行したうえで、震災手形の整理を進めることとし、震災手形二法が議会に提出された。しかし、震災手形の振出が鈴木商店に、また所持が台湾銀行に集中していたことから、政府資金による特定企業の救済につながるとして、議会での審議は紛糾した。

 この審議の過程で、3月14日に片岡蔵相が「東京渡辺銀行が破綻した」と発言してしまったのである。同行はこの日、資金融通が可能となり実際には破綻は免れていた。しかし、この片岡蔵相の発言により、一般預金者の不安が増長され、東京渡辺銀行やその関連銀行のあかぢ貯蓄銀行が取付に合い、休業に追い込まれ、その後他の銀行にも取付が波及したのである。

 政府は事態を収束するため、4月22日から2日間銀行を臨時休業させることとしたほか、3週間のモラトリアム(支払猶予)を公布した。この間、日銀は正規の手続きによらない特別融通などの緊急貸出を実施した。預金者の不安心理を一掃することを目的に、現金を銀行の窓口に高く積み上げるという単純ながらも有効な手段が取られた。この際に短期間に大量の日銀券が市中銀行に対する預金者からの預金払戻し請求などに応じるために発行されたことから、銀行券の印刷が間に合わず、やむなく裏面が白紙の200円の高額紙幣が発行された。これらの措置の結果、金融恐慌はようやく鎮静化したのである。

 この金融恐慌が引き金となり、取引の安全性を図るため、コール市場参加銀行がコール協定を締結し、国債担保を原則とすることや長期物取引の禁止を申し合わせた。このため、有担保取引の原則が市場ルールとして定着していった。金融恐慌の発端のひとつとして、特殊銀行が無担保コールを市場で盛んに調達したことが指摘されており、その反省によってコール市場でも有担保取引が主流となったのである。

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by nihonkokusai | 2015-09-02 09:49 | 金融の歴史 | Comments(0)

銀行の起源は両替商、今は国債に両替中

 今週は9月3日、4日に日銀の金融政策決定会合、やはり3日、4日にイングランド銀行の金融政策委員会(MPC)、4日にECB政策委員会の開催が予定されている。特に4日のECB政策理事会の行方が注目され、追加緩和観測も出ている。このため、ユーロ圏の国債は買われ、ドイツやフランス、ベルギー、オランダ、さらにはアイルランド、ポルトガル、スペイン、イタリアの10年債利回りは過去最低を更新した。

 このように中央銀行の動向が市場に大きな影響を与えているが、その中央銀行は銀行の銀行という役割を担っている。さらにここにきて欧州の国債を買っているのも銀行と言われている。大きな金融ショックの影響で銀行が国債を買わざるを得なくなり、デフレも進行するというのは我が国もいつか来た道でもあった。そもそも銀行とは何か。今回はその起源を世界史と日本史から探ってみたい。

 英語の「Bank」の語源は、欧州圏の貨幣供給が増加し交易が活発化する中、当時の世界の貿易、文化の中心地であった北イタリアにあったとされる。この地の両替商が両替のために使用したイタリア語「BANCO」(長机、記帳台)に由来するとされている。

 ローマ・カトリック教会と連携した北イタリア商人は絹や香辛料貿易を活発に行っていた。十字軍に財政的な支援を行なった見返りに、十字軍の支配下に組み込まれた地中海東部全域における特権を得ていたのである。この遠隔地間の交易のための開発されたのが「為替手形」であった。このようにあらたな信用供与手法が構築され、12世紀から14世紀にかけての北イタリアに「銀行の起源」生まれた。

 12世紀のジェノバにはバンゲリウスという言葉が両替商を意味し、この両替商は預金を受け入れ、地元の事業主に貸付を行なっていた。また、13世紀のベネチアでは、バンコ・ディ・スクリッタと呼ばれる直訳すれば「書く銀行」、つまり帳簿上で決済を行なう振替銀行も誕生していた。

 為替手形の開発などによって銀行業を介在とした財の生産、そして交易によって中世の西欧経済が発達した。ヨーロッパ各地の物産が交換され、また国内外の負債が決済される場でもあった国際定期市が、交易商人兼銀行家が特に活躍する場になった。そしてイタリア人は商人から銀行家へと転職し、その代中にはルネサンス期を代表する銀行家・政治家となったメディチ家があったのである。

 江戸時代の三貨制度により金・銀・銭という3種類の貨幣が支払手段として利用され、両替商はこの金銀銭貨の交換ニーズを背景として登場した。両替とは「両」つまり主に東日本で使われた計数貨幣である「金」を、西日本で使われていた秤量貨幣である「銀」、もしくは小額の計数貨幣である「銭」と替えるという言葉からきている。

 さらに大坂の銀と江戸の金の交換で「相場」が生じ、時期などにより相場が変化する変動相場となっていたことで、手数料を取って両替をするという仕事が生まれた。これが鴻池や三井、住友を代表とする両替商である。

 両替のためには基準になる相場を決めなければならず、両替屋の大手が集まりその日の経済動向を読みながら相場を立てていた。この相場は大きな資金を動かす政府である幕府にも報告された。

 天下の台所と呼ばれた大坂では、全国各地の諸産物が集まり売買されていた。取引の多くは通帳などに基づき信用で売買された後に、商品ごとに定められた期日に代金が支払われた。この決済手段に使われたのが、銀目手形と呼ばれた手形である。このように大坂の商人は、可能な限り現金銀の取り交わしを避け、現金銀を両替商に預け入れ、手形によって決済するといった慣習が出来上がる。

 両替商はこの銀目手形(決済手段として利用された手形)の引き受け・決済や資金融通を通じ、大坂で発展した。さらに両替商は業務を広げ、商人や大名、そして幕府などを取引相手に、預金の受け入れ、手形の発行や決済、加えて、貸し付けや為替取引など各種の金融業務を広く営むようになる。このように両替商は現在の銀行業務に近い金融機関としての役割を担っていた。特に手形の決済制度などは、同時期の欧州など諸外国の金融システムに比べても、かなり発達したものとなっていた。この信用制度の確立により、さらに大坂での商業活動が活発化したのである。

 このように現在の銀行の起源は洋の東西を問わず両替商にある。そして現在の両替商は貸出等も行っているが、手元の資金の多くを国債という金融商品に交換している。さらに銀行の銀行である中央銀行も日銀を筆頭に国債を大量に購入している。国債は安全資産とされる金融商品ではあるが、ひとつの金融商品が銀行のなかに大きな位置を占めている状況は何を意味し、そこにはどのようなリスクが関わっているのか。あらためて考えてみる必要もありそうである。

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by nihonkokusai | 2014-09-02 09:35 | 金融の歴史 | Comments(0)

危機を記憶ではなく記録として残す必要

 金融市場の動きは非常に気まぐれである。市場参加者のポジション状態や心理状態に動かされやすく、弱いところを突いて動かそうとするヘッジファンドなども存在し、相場変動を加速させるアルゴと呼ばれるアルゴリズムによる機械的な取引も存在する。

 市場参加者のポジションが大きく傾くことは、バブルとか金融恐慌などと呼ばれる。買いが買いを呼ぶ、売りが売りを呼ぶ、そんな相場は大なり小なり存在し、動きが派手になると百年に一度の大相場、百年に一度の金融危機などと呼ばれることもある。

 大きな動きが来るときには、そのきっかけとなる何かしらの材料が存在することが多い。たとえば1820年代のイギリスでの金融危機の発端のひとつが新興市場ブームであった。また1880年ごろから南米を対象とした投機熱が再び起こり、特にアルゼンチンに投資資金が向かった。ベアリング商会は大量のアルゼンチン政府債券を保有し、倒産しかねない事態になり、イギリス政府とイングランド銀行の介入により倒産は回避されたもののブームは終焉し、1890年の「ベアリング恐慌」を引き起こした。

 1920年代のアメリカでの強気相場も、南アメリカの債券に対する投機熱に続いて起きたものであった。1929年の世界恐慌はそれまでの投機熱の高まりによるバブル的な動きの反動が大きく、1929年10月24日のニューヨーク証券取引所での株価の大暴落で、世界的な金融恐慌を引き起こすことになる。大恐慌の時代に南アメリカの債券はすべて債務不履行となっていた。

 1990年代にも新興市場向けへの投資が活発化した。1990年後半には米国を中心にITバブルが発生した。1997年のアジアの通貨危機をきっかけにロシアやブラジルなどに飛び火し経済混乱を招いた。新興市場ブームは2000年代にも生じる。

 このような過去の歴史があり、今回のウクライナ問題によるロシアの動向、さらには中国の経済動向などが注目されてはいるが、いまのところパニック売りを引き起こすような状況とはなってはいない。

 日本でもバブルや恐慌は何度となく引き起こされていたが、有名なものとしては1927年の金融恐慌がある。3月14日に片岡蔵相が「東京渡辺銀行が破綻した」と発言し、この片岡蔵相の発言により一般預金者の不安が増長され、東京渡辺銀行やその関連銀行のあかぢ貯蓄銀行が取付に合い、休業に追い込まれ、その後他の銀行にも取付が波及したのである。この際、短期間に大量の日本銀行券が市中銀行に対する預金者からの預金払戻し請求などに応じるために発行されたことから、銀行券の印刷が間に合わず、やむなく裏面が白紙の200円の高額紙幣が発行されたことも有名な話である。

 上記の片岡蔵相の発言をきっかけとして恐慌は、すでに市場で不安心理が働いていたところに火に油を注ぐ格好となった。相場も行き過ぎがあると、そのしっぺ返しがくる。市場が価格変動以外の要因で不安心理が高まると、何かしらのきっかけでパニック的な動きが誘発されることもある。

 欧州の信用危機のきっかけとなったギリシャは現在、国債発行再開に向けて準備を進めているそうである。欧州の危機は去ったと言えるが、これはいったい何が原因でどのような事態が引き起こされたのかを確認しておく必要がある。

 別に犯人捜しをするわけではなく、ギリシャの財政状態の隠匿、格付け会社による格下げ、ユーロというシステムそのものに内在した不安要因など、ひとつひとつ吟味してどのような経緯で市場が動き、何をきっかけに沈静化してきたのか。不安が高まり、その不安が少しずつ解消されていく様子をいまならば記憶ではなく記録として残すこともできるし、その必要もあろう。

 気まぐれな相場の動きを実感のあるうちに残しておくことは今後の同様の事態に対処するために必要なことと思われる。これは日本も他人事ではない。むしろ日本発の急激な相場変動が起きる可能性も否定できない。そのリスクは次第に高まっていることも確かなのではなかろうか。

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by nihonkokusai | 2014-03-20 09:49 | 金融の歴史 | Comments(0)

ビットコイン問題に見る通貨とは何か

 ビットコイン取引所のMt.Gox(マウント・ゴックス)のサイトがアクセス不能となり、当面全ての取引停止を決定したと発表した。ロイターによると、マウント・ゴックスは実質消滅した状態となっているそうである。ウェブサイトは停止し、創設者の所在は不明、東京の事務所は抗議する利用者を除いてはもぬけの殻となった。

 この問題が今後どのような結果を招くのかは、現時点ではわからない。ビットコインについては、国や制度にとらわれない新たな国際通貨への期待もあったが、その発明者などははっきりせず、かなりグレーな部分も多く、利便性と信認が秤に掛けられていたような状況にあった。

 今後もこのような仮想通貨が出てくることも考えられるが、そもそも通貨というものは突然生まれたものではない。ここで通貨の歴史を紐解いて、通貨というものは何であったのかを再確認してみたい(拙著「マネーの歴史(世界史編) Kindle版」より一部引用)。

 通貨などのお金の役割として、交換ができること、その価値を保存できること、物の価値を測ることができるという3つがある。ビットコインは他通貨と交換ができなくなったことで通貨としての役割が失われたことになる。ちなみに日銀券には法律に定められた無制限の強制通用力がある(日銀法第46条第2項)。強制通用力を有する貨幣による支払いは最終的なものとなり、受取人は受け取りを拒否することができず、これにより決済は完了することになる。ただし、これも日本国の信認が低下し、仮にハイパー・インフレのようなことが起きれば、いくら法律で定められたといっても現実には受け取りを拒否されるような事態もありうる。

 古代にお金として使われていたものは、共同生活において利用価値が高いこと、貴重なもの、さらに保存がきくといったものが選ばれた。これらは「物品貨幣」と呼ばれている。文献などに残っている世界最古の貨幣は、古代中国の殷王朝(紀元前1600~1046年)で貨幣として使われた「子安貝」とされる。「子安貝(タカラガイ)」は、当時たいへん貴重な貝の種類であった。貝という漢字も、タカラガイのなかの「キイロダカラガイ」という種類の形から生まれた象形文字だそうである。貨幣とか経済に関しての漢字には、「買」「財」「貴」「賓」などのように貝のつくものが多いことも、古代中国で貨幣として使われていたことに由来する。ちなみに「売」という漢字も元々は「賣」(旧字)である。

 その後、お金の役割をしていた貝は、やがて自然のものから貝を真似て作られた銅製品に変化した。銅や銀は貝などに比べて耐久性が優れ、運搬性にも優れているため、金属が貨幣素材に利用されるようになった。その後、商工業などの発達に加え、銅や銀の産出や加工といった技術の向上により、金属貨幣が幅広く使われ始めた。金や銀、銅などの貴金属金属は腐ったりすることがなく耐久性があり、他の金属を加えることで硬くなり、また分割したり足し合わせたりすることが比較的簡単にできる。さらに少量でも交換価値が高いことで持ち運びにも便利となる。

 古代においては「ソリドス金貨」や「五銖銭」、「開元通宝」などの通貨が数百年にわたり使われていた。これはそれらの通貨への信認とともに、流通量も多く使い勝手の良い通貨であったためと思われる。

 中国の唐の時代の後期には、茶・塩・絹などの遠距離取引が盛んになるなど商業の発達に伴い銭貨の搬送を回避する手段として「飛銭」と呼ばれた送金手形制度が発生した。高額商品の売買には銭貨の「開元通宝」などでは量がかさんでしまう上、途中での盗賊などによる盗難の危険もあった。このため、長安や洛陽などの大都市と地方都市や特産品の産地などを結んで、当初は民間の富商と地方の商人との間によって「飛銭」という送金手形制度が開始された。

 これはたいへん便利なものであるとともに、手数料収入に目を付けた節度使(地方の軍司令官)や三司(財政のトップ)などもこれを模倣した。飛銭を利用する際に使われた証明書(預り証)が、宋代になると交子・会子・交鈔・交引などと呼ばれ、証明書それ自体が現金の代わりとして取引の支払に用いられるようになった。特に四川地方で発行された交子は世界史上初の紙幣とされている。

 中国で世界最初の紙幣が誕生したのは、貨幣の材料となり、貴金属などの産出が限られていたこともあるが、宋や元の時代の国家権力が強かったことも要因と指摘される。それとともに遠隔地との交易など商業の発達がそれを促したものといえよう。忘れてならないのは、紙そのものが中国で発明されたものであり、さらに印刷術も発達していたことが、紙幣の発行を可能にしたといえる。

 紙幣はたいへん便利なものであったことで、その需要が増え、それに目をつけた政府は軍事費に当てるための財源として交子を乱発しその価値を失ってしまった。その後、新たな紙幣を発行するものの、やはり信用を落としてしまい、最終的には銅銭が復活することになった。

 通貨として流通するものに対しては、法律による強制権がない場合には特に一定の価値が維持されていることや、人々の信認を高めることが重要となる。ビットコインは高度なソフトウエアのアルゴリズムに基づいて価値が保存されるとするが、この仕組みが広く一般に理解されることは難しい。さらに信認については、グレーな部分が大きくそれが拡がりを見せる前に問題視されて現在に至る。

 貝だろうが石であろうが、金であろうが電子上のものであろうが、希少価値のあるものを通貨にしようとの試みは人類の歴史上、ずっと続けられてきた。しかし、現在は紙に印刷された紙幣そのものに価値はないにも関わらず、法律で定められた強制権を持つ紙幣がその価値を保存させ信認を得ている。

 もちろんドルやユーロなどに比べて、小さな国の紙幣への信用度は異なるかもしれない。それでも国の発行する紙幣が現在は最も使い安いことも事実である。ただし、もしアマゾンやグーグルなどが取引に自らの通貨に当たるものを出してくると、真の意味でのグローバル通貨が出てくる可能性を否定はできない。ただ、ビットコインについてはどうやら「仮想」の通貨であった可能性が高いように思われる。

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by nihonkokusai | 2014-02-27 08:20 | 金融の歴史 | Comments(2)

荻原重秀によるデフレ対策

 9月25日の日経新聞朝刊の特集「物価考」では、荻原重秀と高橋是清が取り上げられていた。高橋是清の政策については、拙著「聞け! 是清の警告 アベノミクスが学ぶべき「出口」の教訓」(すばる舎)に詳しく書いたので、こちらをご覧いただきたい。荻原重秀については、過去にこのコラムでも解説したが、リフレ政策のリスクを認識するために、あらためて確認してみたい。

 1639年に幕府はポルトガル船の入港を禁止し、いわゆる鎖国に入ったが、これにより日本の貿易高は減るどころかむしろ増加した。ポルトガルは日本の銀を介在してのアジアでの三角貿易を行っていたが、オランダも同様に中国で購入した生糸などを日本に持ち込み、それを銀と交換したのである。これにより大量の生糸が日本に流入するとともに、大量の銀が海外に流出した。またオランダはインドとの貿易に金を使っていたことで、オランダ経由で大量の金も流出していたのである。

 幕府は金銀の流出を防ぐために、金や銀の輸出禁止などの政策を打ち出すものの、国内に生糸や砂糖などの輸入品への需要が強く国産品では対応できなかったことで、結局、その対価として金銀が用いられたことにより、解禁せざるを得なくなり、金銀は流出し続けた。

 金銀の海外流出とともに日本国内の金銀の産出量が低下した。米の生産高の向上や流通機構の整備などにより、国内経済が発展し貨幣需要が強まったものの、通貨供給量が増えなかったこともあり、米価は上昇せずデフレ圧力が強まることになる。

 五代将軍綱吉は豪奢な生活を送っていたことに加え、寺社や湯島聖堂などを建立するとともに、明暦の大火や各地で発生した風水害などにより、慢性的な赤字を続けていた財政がさらに厳しくなり、幕府は1695年に貨幣の改鋳に踏み切った。

 将軍綱吉は勘定吟味役の荻原重秀に幕府の財政の立直しを命じ、荻原重秀はそれまで流通していた慶長小判(金の含有率84-87%)から、大きさこそ変わらないものの金の含有率を約57%に引き下げた元禄小判を発行したのである。銀貨の品位も80%から64%に引き下げた。

 金銀貨の品位引き下げが均衡を欠いていたことから、銀貨の対金貨相場が高騰し、一般物価も上昇した。このため1706年以降、銀貨が4回に渡り改鋳され、1711年の改鋳により銀貨の品位は20%と元禄銀貨の3分の1にまで引き下げられたのである。金貨については1710年以降、品位を84%に引き上げたものの量目を約2分の1にとどめ、純金含有量が元禄小判をさらに下回る宝永小判を発行した。

 これらの改鋳により幕府の財政は潤ったものの、これにより通貨の混乱とともに物価の急騰を招き、庶民の生活にも影響が出た。荻原重秀の政策に関してはデフレ経済の脱却を成功させ元禄時代の好景気を迎えたとの見方もある一方、インフレを引き起こしたといった批判も強い。

 荻原重秀は著作を残していないが「貨幣は国家が造る所、瓦礫を以てこれに代えるといえども、まさに行うべし」と述べたとも伝えられている。現在の管理通貨制度の本質を当時すでに見抜いていた人物でもあったと言える。

 荻原重秀は、結果的に通貨価値を引下げ信用度を低下させ、インフレを招くことによるデフレ対策を行った。荻原重秀の財政金融政策はその後、新井白石などにより修正を余儀なくされる。しかし、幕府の財政はむしろ危機的状況に陥ることになる。一度信用を失ったものを立て直すことが難しいことはその後の歴史を見ると確認できる。

 高橋是清による高橋財政も金輸出禁止が政策の柱にあった。金本位制から脱することにより、金の流出を防ぐための円高政策や、金融引き締め、緊縮財政等を無理に行う必要がなくなった。このため円安政策・金融緩和政策・財政政策が可能となったのである。財政政策のために必要な国債発行は日銀の引受方式で行った。その政策が結果として何を招いたのか。

 リフレ政策は一時的なユーフォリアを招く。だからこそ出口政策を困難にさせる。その政策は結果として政府の信用を毀損させることになる。現在の金融システム上では、政府とともに中央銀行に対する信認も失うことになる。つまり通貨や国債への信認低下を招く。ここに大きな問題が存在することを歴史は示しているのである。

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by nihonkokusai | 2013-09-26 09:41 | 金融の歴史 | Comments(0)

過去のオリンピック開催国と財政金融危機

 2020年の夏季オリンピックの開催地が日本時間で8日の早朝に決定される。昭和39年の東京オリンピックのときは、私はまだ幼稚園児であったが、聖火リレーを旗を振りながら生で見た記憶や、友人宅のカラーテレビで開会式を見た記憶も鮮明に残っており、個人的には是非東京招致を成功させてほしいと願っている。

 個人的な思いはさておき、日本で過去オリンピック(夏季・冬季)が開催された年は日本の財政にとって大きなターニングポイントになったことは、先日のこのコラムでも指摘した。今度は国内ではなく、海外でのオリンピック開催(今回は夏季のみ)とその国の経済や財政に与えた影響を見てみたい。もちろんオリンピックを開催するのは国ではなくて都市であるため、直接国の財政に影響しない場合もあるかもしれないが、国を挙げてオリンピックを開催する場合がほとんどとみられ、インフラ整備等含めてその国の財政にはかなり影響があると思われる。

 今回は参考までに1964年の東京以降の夏季オリンピック開催国と開催都市を列挙してみた。

1964年東京(日本)、1968年メキシコシティー(メキシコ)、1972年ミュンヘン(西ドイツ)、1976年モントリオール(カナダ)、1980年モスクワ(ソ連)、1984年ロサンゼルス(アメリカ)、1988年ソウル(韓国)、1992年バルセロナ(スペイン)、1996年アトランタ(アメリカ)、2000年シドニー(オーストラリア)、2004年アテネ(ギリシャ)、2008年北京(中国)、2012年ロンドン(イギリス)、2016年リオデジャネイロ(ブラジル)

 1968年のメキシコオリンピックや1972年のミュンヘンオリンピックあたりでは、特にメキシコやドイツが直接関係した世界的な経済金融危機は発生してはいない。参考までに1982年にメキシコの通貨危機が発生し、1989年11月にベルリンの壁が崩壊した。

 1976年のカナダで開催されたオリンピックは、カナダの財政赤字を膨らませ1990年代に入り本格的な財政再建に成功した。

 1980年のボイコット問題で揺れたソ連でのオリンピック開催後、11年経過した1991年にソ連そのものが崩壊した。

 1984年には米国(ロサンゼルス)で開催されたが、翌1985年にプラザ合意があった。米国の貿易赤字と財政赤字の双子の赤字問題による対外不均衡を、先進各国は為替相場の調整で是正しようとしたものである。これにどの程度直接オリンピックの影響があったのは不明ながら、米国の財政そのものが問題視されていたことは確かである。

 1988年に韓国でオリンピックが開催された。その韓国で通貨危機が発生したのは1997年である。

 1992年にはスペインでオリンピックが開催された。今回のオリンピック招致の東京のライバルはスペインのマドリードである。1992年のオリンピック後のスペイン経済は景気が悪化した。

 1996年のアトランタオリンピックの翌1997年にアジアで通貨危機が発生し、それがロシアにも及び、LTCMが1998年9月に破綻に追い込まれた。

 2000年のオーストラリアでのオリンピック以降、オーストラリア経済成長率は鈍化。

 2004年のギリシャでのオリンピックがギリシャの財政を悪化させ、2010年の欧州の信用不安を招くことになる。

 2008年の中国で開催されたオリンピックだが、その後の景気悪化が懸念されたものの、それほど大きな落ち込みとはならなかった。

 2012年のロンドンオリンピックは、欧州の信用不安が吹き荒れるなかでの開催となったが、オリンピック閉会後、次第に欧州の信用不安は後退することとなる。

 個別にはもう少し調べてみることも必要ながらも、オリンピック開催が世界の経済金融危機に多少なり関係していたことも確かではなかろうか。

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by nihonkokusai | 2013-09-05 09:56 | 金融の歴史 | Comments(0)

暴れん坊将軍自らの金融政策とは

 六代将軍となった徳川家宣は、新井白石からの建議を受け綱吉時代の財政金融政策を見直し事態の立て直しを図りった。これが「正徳の治」である。金銀貨の質を徳川家康が作らせた慶長と同様なものに戻し、これによって小判貨幣量を減少させるために金銀貨の品位・量目の引き上げを行った。

 1714年に金貨の品位を慶長金貨 (84~87%)にまで引き上げる改鋳が行われ、元禄・宝永小判二両に相当する品位84%の正徳小判を発行した。しかし、正徳小判の品位は慶長小判に劣るとの風評が立ち、翌年にはさらに品位を若干高める改鋳を行い、後期の慶長小判と同品位の享保小判(品位87%)を発行したのである。

 新井白石は長崎貿易についても統制令を出して貿易総額を規制し、また、銅の輸出にも歯止めをかけようとした。加えてこれまでの必需品としての輸入商品であった綿布、生糸、砂糖などの国産化を推進した。

 元禄文化に象徴される華美・贅沢な風潮を改め、幕府も徹底的な倹約に努めた。しかし、幕府による財政支出の減少や武士層の消費が大きく減退し、現在で言うところの公共投資と個人消費が減少した。さらに金銀貨の流通量の減少傾向が強まり、物価は大きく下落し、日本経済は再び深刻なデフレ経済に陥ったのである。特に幕藩体制を支えていた米価の下落は農民や武士の生活に深刻な影響を及ぼした。経済の安定のためには物価をコントロールする必要性があるものの、その難しさというものも荻原重秀と新井白石の政策の影響から伺えよう。

 宗家紀州徳川家から八代将軍に就任した徳川吉宗は、新井白石を解任するなど人事の一新を図る。そして享保の改革を通じて、危機的状況にあった幕府財政の建て直しのため、倹約による財政緊縮を重視しデフレ政策を実施した。これにより物価はさらに下落し、特に米の価格下落が激しくなる。このため、吉宗は米価対策を打ち出したものの、商人による米の買い上げなどの政策も功を奏さず、その結果、インフレ策として金銀貨の改鋳による通貨供給量の拡大を計ることとなった。

 ただし、改鋳に当たってこれまでのように出目といわれる改鋳による差益獲得の狙いはせず、新貨幣の流通を主眼に置いた。すなわち、元文小判の金の含有量は享保小判に比べて半分程度に引き下げられたが、新旧貨幣の交換に際しては旧小判1両=新小判1.65両というかたちで増歩交換を行った。しかも新古金銀は1対1の等価通用としたことで、この結果新金貨に交換したほうが有利となり、新金貨との交換が急速に進み、貨幣流通量は改鋳前との比較において 約40%増大した。貨幣供給量の増加により物価は大きく上昇し、深刻なデフレ経済から脱却し適度のインフレ効果を生み出したのである。

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by nihonkokusai | 2012-11-05 09:34 | 金融の歴史 | Comments(0)
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