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2011年 11月 01日 ( 2 )

牛熊ゼミナール金融の歴史第24回 大阪堂島で生まれた先物市場

 世界最初の取引所といわれている16世紀のアントウェルペン取引所では、すでにオプション取引や先渡し取引が行われていたのですが、現在の形式での先物取引などのデリバティブ取引の原型となっていたのは、江戸時代の大阪堂島で行われた米の先物取引です。

 大坂には諸藩が設けた蔵屋敷に年貢米が送られます。米の売却は蔵屋敷での競争入札で行います。落札した業者は代金の一分を支払い、蔵屋敷発行の米切手(米手形)を受け取り、一定期日以内に米切手と残銀を持参して蔵屋敷から米を受け取る仕組みとなっていました。この取引が時代とともに少しずつ変わり、米切手が転売されていくようになり、米切手そのものが米現物の需給に関係なく売買の対象となっていったのです。

 大坂の北浜に、淀屋の米市と呼ばれる米市場があったのですが、のちに淀屋市が堂島に移りました。堂島米市場で売買されていたのは落札された米切手です。米の売買に際し現物の代わりに1枚10石単位の米切手という倉荷証券が授受されたのです。米切手は米の保管証明書から一定量の米に対する請求権を表した商品切手に変わり、有価証券化して行きました。つまり堂島米市場は有価証券取引が行われた証券市場であったのです。

 堂島米市場では着地取引として米の廻着を待たずに米切手が先売りされるようになりました。米切手の保有している商人は米の価格変動リスクにさらされることとなり、この米価の価格変動リスクのヘッジを目的として「売買つなぎ商い」という先物取引が考案されたのです。この「つなぎ商い」が1730年に徳川幕府により公認され、堂島米会所が成立したのです。

 堂島米会所では、米切手を売買するいわゆる現物取引の「正米商い」に加えて、米の先物取引である「帳合米商い」が行われました。帳合米商いとは1年を春夏冬の三期にわけてそれぞれ4月28日、10月9日、12月24日を精算日とし、各期に筑前・広島・中国・加賀米などのうちから1つを建物(標準米)として売買し、反対売買による差金決済を原則とする取引です。 正米商いと帳合米商いともに消合場と呼ばれた株仲間組織によるしっかりとした清算機関(クリアリングハウス)が存在していました。不正を行った株仲間を取引停止にするといった処置も講じられ、市場秩序が維持されていたのです。こうして帳合米商いは、現在の先物取引と同様にヘッジ目的だけでなく投機目的でも積極的に商人が参加し、世界に先駆けた先物市場が発展していったのです。


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by nihonkokusai | 2011-11-01 08:31 | 金融の歴史 | Comments(0)

任期満了となったトリシェECB総裁

 1998年6月1日、欧州共同体設立条約(マーストリヒト条約)及び欧州中央銀行制度(ESCB、後述)および欧州中央銀行(ECB)に関する定款に基づき、欧州中央銀行(ECB)と欧州中央銀行制度(ESDB)が設立された。本部(本店)はフランクフルトに置かれた。

ESDBはECBと、統一通貨ユーロの導入の有無に関わらず欧州連合(EU)に加盟している27か国の中央銀行で構成されている。この中で、ECBとユーロを通貨として採用している加盟国17か国の中央銀行によってユーロシステムが構成されている。

 米国は連邦制度となっていたことから連邦準備制度という形式での中央銀行を作ったが、ユーロ圏の経済統合の結果、ユーロシステムを構成しているそれぞれの国の中央銀行は、その役割を欧州中央銀行というひとつの銀行に委ねた。そして1999年1月に欧州の通貨統合により単一通貨であるユーロが導入され、ユーロ圏の金融政策は、ECBが行うこととなったのである。

 そのECBの初代総裁となったのが、オランダ銀行総裁やオランダ大蔵大臣を歴任したウィム・ドイセンベルク氏であった。本来であれば総裁の任期は8年であったが、総裁選出や本部所在地との兼ね合い等々があり、ドイセンベルク氏の任期半ばでの退任と、その後継にはフランス銀行総裁のトリシェ氏を任命することが、公然の密約として取り交わされていた。つまり、ドイツとフランスの対立などが反映され政治色が非常に強いものとなっていたのである。

 この密約通りに、ドイセンベルク氏が任期半ばで退任し、2003年11月にジャン・クロード・トリシェ氏が第2代総裁に就任した。元々、ECBはブンデスバンクがモデルとなっているが、トリシェ氏も真のインフレファイターとも言える人物であった。

 トリシェ総裁の任期の半ばあたりまでは、それほど大きな出来事はなかったものの、2007年のパリバ・ショックにより、ECBなど各国中銀は大量に資金供給を実施。2007年12月にはFRBがECB、スイス国民銀行(SNB)とスワップ取極を結んで欧州でのドル資金供給を始めた。

 しかし、事態は改善せず2008年9月には今度はリーマン・ショックが発生し、欧州各国も預金の全額保護や金融機関の国有化・資本注入、短期債務保証など、様々な施策を迅速に打ち出し、国際協調も行われECBなど各国中銀が一斉に利下げを行った。

 そして、今度は2010年1月にギリシャの財政状況の悪化が表面化したことで、ギリシャ・ショックが発生し、問題が金融機関から国の債務問題に向かい、5月にはECBは欧州危機対応のための国債買入を決定したのである。これは政治からの独立性を意識していたトリシェ総裁にとりかなり苦渋の決断であったとみられる。

 ECBのトリシェ総裁の後任には当初、ドイツ出身者が就任するであろうことが暗黙の了解のようになっており、ドイツ連邦銀行のウェーバー前総裁が最有力視されていた。しかし、そのウェーバー前総裁が、「個人的な理由」で2011年4月末にドイツ連邦銀行総裁を辞任した。 ウェーバー前総裁は、ECB理事会において、インフレを加速し中央銀行の政治的独立性を損なうとして加盟国の国債買い入れに強硬に反対しており、それがドイツ連銀総裁の辞任、つまりは次期ECB総裁候補から降りた要因となったとみられている。

 さらに9月にはユルゲン・シュタルク専任理事がやはり「個人的な事情」を理由に辞意を表明した。この理由もイタリアなどの国債買い入れをECBが行ったことが要因とされる。トリシェ総裁にとり、親しい友人であったとされるシュタルク専務理事の辞意表明はかなりショッキングな出来事であったとみられる。

 トリシェ総裁はインフレファイターを封印して欧州の債務危機に対して果断に挑んでいった。このためにドイツ出身者との軋轢を生んだとも言える。しかし、欧州の債務問題は解決したわけではないものの、メルケル首相の働きなどとともに、結果とすればトリシェECB総裁の働きもかなり賞賛されるべきものであったと言えるのではなかろうか。だからこそ、その慰労パーティーで臨時会合が開催できるだけの人物が集まったとも言えよう。そして、10月31日でECB総裁は任期満了となった。

 ECBのトリシェ総裁の後任には、債務問題が押し寄せつつあるイタリア出身のマリオ・ドラギ氏が11月1日に第3代欧州中央銀行総裁に就任する。前任者の功績が大きかったこともあるが、今度は出身国の火の粉を消す必要もあるなど、新総裁も大きな問題を抱えている。ドイツやフランスという大国の板挟みとなる中での、ドラギ新総裁がどの程度の手腕を発揮できるか、今後の情勢を見極めていきたいと思う。


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by nihonkokusai | 2011-11-01 08:30 | 日銀 | Comments(0)
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