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2007年 11月 20日 ( 3 )

「FRBの金融政策の透明性を高めるための追加措置(再)」


 バーナンキFRB議長は14日、米ケイトー研究所で講演し、金融政策の透明性を高めるための追加措置を実施すると発表した。金利動向とインフレの最適水準を明確にする取り組みとして、年2回、2月と7月に公表している経済見通しの発表の回数を、現状の年2回から年4回に増やすとともに、予測の対象期間を2 年間から3年間に延長することを明らかにした。

 バーナンキ議長は、「予想の基調となる要因についての協議内容、FRB関係者の目標に対するリスクの評価を含め、経済見通しの情報を増やすことにより、市場は、金融政策の現在のスタンス及びその変更の根拠を、一段と理解できるようになるはずだ」(ロイター)とコメントしている。

 ちなみに日銀は、毎年4月と10月の年2回、金融政策決定会合の決定を経て、「経済・物価情勢の展望」(展望レポート)を発表しているが、7月と1月にはそれぞれの中間レビューも行なっている。

 また日銀は、展望レポートの中で、実質国内総生産(GDP)、国内企業物価、消費者物価の政策委員の予想が数値で示されている。2005年4月からは当該年度に加え、翌年度を含めている。

 今回のFRBの動きに無理にあわせる必要はないものの、FRBの今回の追加措置が市場の金融政策の動向を読みやすくさせるとなれば、現在の中間レビューから正式の見通しに変更し、経済物価の見通しの期間も翌々年度を含めたものにしてくる可能性もある。

 それはさておき、バーナンキ議長が意欲を示していたとされる物価安定の数値目標を明示する「インフレ目標」の導入は見送られた。バーナンキ議長はこれに関して「インフレ目標はいくつかの点でFRBの使命や政策行動にそぐわない面がある」と指摘している(日経新聞)。今回の措置はこの代替措置との見方もあるようで、市場がFRBの政策意図を理解しやすいようにするための施策となる。

 日本でも一時騒がれたインフレ目標の導入も、その最たる導入論者の一人でもあったバーナンキ氏自身が、FEDの現場では採用は難しいと判断していることは注目すべきであろう。インフレ目標を導入している中央銀行も「柔軟な」インフレ目標となっている点もバーナンキ議長は指摘していた。

 FRBは経済成長率、コア物価上昇率、失業率の見通しを2月と7月に公表している。その回数を年2回から年4回に増やすとともに、予測の対象期間を2年間から3年間に拡大する。今月20日から実施する。
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by nihonkokusai | 2007-11-20 15:46 | 日銀 | Comments(0)

「最新商品先物の基本とカラクリがよ~くわかる本」


 私の7冊目の本・・・ではありません。知り合いの編集者の方からの依頼で、フィスココモディティーのアナリストをしている津賀田真紀子さんを紹介し、その結果生まれたのが、津賀田真紀子さんが執筆された「最新商品先物の基本とカラクリがよ~くわかる本」です。本日、全国書店にて発売されています。

 この本は私が3冊書かせていただいた本のシリーズ「図解入門」のひとつで、「商品先物取引」の基礎から投資の基本までをわかりやすく1冊にまとめたビジネス書です。商品取引というと一歩引いてしまう方もいらっしゃるかもしれませんが、商品取引もしっかりとした金融取引のひとつであり、米国では先物・オプションの外務員資格を取るためには、この商品取引の知識が必須となっているぐらいです。

 原油先物や金の先物の値動きも最近は市場を賑わせています。この機会にぜひ商品先物の知識もこの本から取得してください。もちろん日銀の金融政策や短期金融市場に興味のある方は
「短期金融市場の基本とカラクリがよ~くわかる本」もよろしくお願いいたします。
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by nihonkokusai | 2007-11-20 12:55 | 本の紹介 | Comments(0)

「債券の利子」


 債券の利子は、現在は市場で形成される金利に応じて決定されています。しかし、昔は国債の金利も人為的に抑えられた時代もありました。日本では第二次大戦後、日本経済の復興のために厳格な金利規制が形づくられていました。これは各金融機関の金利を一定にすることにより、間接金融を通じての安定的な金融体制が作り上げられていたのです。

 しかし、高度成長から低成長時代への経済構造の変化に伴い、規制はむしろ金融の効率性を損なうと考えられるようになりました。海外市場ではすでに金利は自由化されていたこともあり、1970年代後半から日本でも金利の自由化が推進されたのです。

 日本での金利の自由化が推進されたひとつのきっかけが、第一次石油危機による不況の影響による国債の大量発行でした。国債を購入した民間金融機関は、国債を流通市場で売却する必要性が生じたのです。国としても大量の国債発行を円滑に行うためには、銀行などによる国債の売却を認めざるを得なくなり、国債市場が徐々に形作られてきたことで、転売価格が自由に形成されるようになり、これがひとつのきっかけで規制金利の一角が崩れたのです。

 1975年以降のコールレートや手形レートの弾力化などに伴い短期金融市場においても金利自由化が進みました。1978年にはコールレートと手形売買レートの建値制度が廃止されました。

 大量の国債発行に伴い自然発生的していた債券現先市場も発展し、企業の流動性資金を吸収する手段として、1979年には銀行にCD(譲渡性預金)の発行が認められました。また無担保コール市場が1985年に創設されています。

 預貯金金利の自由化に関しては、米国などからの圧力によって自由化が進められ、1985年にはMMC(市場金利連動型預金)が導入され、 10億円以上の大口定期預金の金利が自由化されました。1993年には定期性預金、1994年には普通預金の金利が完全に自由化されました。

 このように日本における金利の形成は、戦後から長きに渡り規制されていたのですが、国債の大量発行をきっかけとして、徐々に金利の形成は規制によるものから、市場に委ねられるものとなっていったのです。
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by nihonkokusai | 2007-11-20 09:43 | 債券市場 | Comments(0)
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「債券ディーリングルーム」ブログ版


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