「ブラック・マンデーから20年」
1987年10月19日月曜日、この日のニューヨークダウ工業株30種平均は引け値で前週末より508.32ドルも下がり、下落率で22.6%と過去最大規模の暴落となり、この暴落は世界の株式市場に飛び火した。
20日の東京市場では、日経平均株価は前日比3836.48円(14.9%)の下げとなるなど、世界的な株価暴落を招いたが、これがのちに「ブラックマンデー」と呼ばれ、金融市場の歴史に刻まれている。これを受けて、日銀は短期金利の低め誘導を実施し、ここから債券相場は急反発したのである。
当時、私は債券ディーラーになってちょうど1年目となっていた。当初の1986年10月から1987年3月まではまさに試行錯誤の連続となり、1986年度は半年だけであったが、結局、トータルで損失となってしまった。しかし、その反省を生かして、1987年度以降は年度ベースではなんとか収益はプラスを維持した。そんな1987年度だが、債券市場にとってもこの年度は、このブラックマンデーのみならず、その前に引き起こされたタテホショックもあってかなりの大荒れともなっていた。
10年89回債を主体とした債券ディーリング相場は崩壊し、金融機関のみならず、事業法人でも債券相場において大きな損失が発生した。そして、1987年9月2日、タテホ化学工業が債券先物取引において286億円もの損失を出したことが明らかになった。このニュースにより、債券市場において、いわゆる「タテホショック」が引き起こされ、債券相場は暴落(長期金利は急上昇)したのである。9月3日から5日までの3日間で、89回債は1%あまりも利回りが上昇した。
1987年5月中旬に債券売買の決済期間の短縮されるとの発表があり、また10月国債が3年3か月ぶりに休債(予定されていた発行を中止すること)、日銀の短期金利高め誘導などがあったことで、債券相場は10月まで下落を続けたのである。また、企業の借り入れ需要が起きたことをきっかけに、生保、都銀が債券ポジションを縮小させたことなども影響した。このため、10年国債利回りは5月から10月にかけて、2.55%から6.4%に上昇したのである。
そして、10月19日のブラックマンデーをきっかけに債券市場は今度は急反発(利回りは低下)し、まさに相場が大きく変動しただけに、ディーラーにとってはまさに儲けるチャンスでもあったとも言えた。
しかし、ここにきての債券市場動向を10年債の利回りを年ベースでみると、2000年1.530-1.990%、2001年1.020- 1.630%、2002年0.895-1.570%、2003年0.430-1.675%、2004年1.190-1.940%、2005年1.165- 1.630%、2006年1.405-2.005%、2007年が現在のところ1.500-1.985%と2003年に1%以上の動きはあったものの、そのほかの年は1%以内の動きに止まっている。それはそれで利回りが安定しているともいえるが、以前にはわずか3日間で利回りが1%も揺れ動いたこともあったのである。市場関係者にとりこういった変動も起こりうることは常に認識しておく必要もあると思われる。