「スイスのゼロ金利政策とその解除」
スイスでは、2001年9月の米国テロ事件以降、地政学的リスクを避けるための資金がスイスなどに集まったことから、スイスフランは上昇し、ITバブル崩壊後の世界的な景気後退の影響も受けたことでなどから、2001から2003年にかけて、ディスインフレ傾向が強まりました。
こうした中、スイスの中央銀行であるスイス国民銀行(Swiss National Bank)は、アグレッシブに政策金利である3か月LIBORの金利を引き下げ、過去にみられない幅での政策金利の引き下げを行いました。その引き下げは市場参加者にサプライズを与える結果を与えるようなかたちとなり、またこの景気浮揚のための緩和策はある程度継続させることをコミットメントするなど、その緩和効果を高めるような政策が取られました。
2003年3月には、この政策金利を0.25%とし、ターゲットレンジの下限をゼロと置いて、事実上のゼロ金利政策を導入したのです。これは2004年9月まで続けられました。
2003年3月といえば、速水日銀総裁の任期満了にともない福井俊彦氏が日銀総裁に就任したタイミングです。福井総裁は就任後、積極的に日銀の当座預金残高目標の引き上げを行ないましたが、スイス国民銀行のアグレッシブな政策変更と日本銀行のこの時期の金融政策との間には何かしら共通点もあるように思われます。
その後、2004年半ばあたりになると、世界的に景気回復基調となり、これはユーロ圏でも顕著となったことから、スイスでも経済の回復が見られ、ディスインフレ傾向も減衰しつつありました。またスイスフランも他の通貨に対して下落傾向となりました。このため、スイス国民銀行は事実上のゼロ金利政策の解除に向けて着手しました。
この実質ゼロ金利政策の解除といった金融緩和の巻き戻しに関しては、緩和策を取った際の手法とは異なり、市場にサプライズを与えることのないように、時間をかけて、市場参加者が経済金融環境の変化などを材料に、今後の利上げの可能性を十分に織り込むのを待ってから政策変更を実施しました。
2004年には0.25%から0.75%まで政策金利を引き上げました。さらに2005年12月には2002年以来となる政策金利1%台まで回復させました。
日銀も2006年3月の量的緩和政策解除、その後7月のゼロ金利解除、さらに2007年2月の追加利上げに関しては、福井日銀総裁をはじめとして政策委員の講演や、会見、さらに国会での答弁などを通じて、金融緩和策の巻き戻しといったものを市場に織り込ませるように働きかけてきたものと思われます。
これはスイスや日銀に限らず、ECBやFRBなども同様の手段を講じているとみられます。各国中央銀行が独立性を強めた結果、政治に振り回されることなく、自らの意思で政策変更が可能となっている分、こういった施策も講じられ易くなったものとも思われます。