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「縄文時代」

 娘達の夏休みの宿題を見ていたら、歴史年表に「縄文時代」が抜け落ちていた。発掘調査によって新たな事実が明らかとなり、私が学んだ縄文時代と弥生時代の歴史教科書の記述は大きく違ってきている。

 縄文時代の遺跡としてテストには暗記必須となっているのが三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)である。県営の野球場を建設するため1992年から行われた本格調査で発見されたため、私の頃の小中学校の社会の教科書には記述がなかったのも当然である。三内丸山遺跡の発見によって、竪穴住居や高床倉庫のほかに祭祀用と思われる大型掘立柱建物が存在した跡が発見されている。定住生活をしていたことや、クリやマメなどを栽培していたこともわかっている。

 そして縄文時代にはすでに熱帯ジャポニカの焼畑稲作が行われていた。つまり稲作も始まっていた。縄文という名前の由来にもなった存と煮炊きに使う縄文式土器を作り、打製石器だけでなく磨製石器や骨角器も作っていたうえに舟をも用いていた。

 私の頃の教科書のイラストなどから縄文時代は原始人のような人々が暮らしていたとのイメージを持ってしまっていたが、そもそも縄文時代とは、今から約1万3000年前ないし1万年前から紀元前3世紀までの約1万1000年~約8000年間とされている。

 紀元前3世紀といえば、 秦の始皇帝が中国を統一したり、 ローマとカルタゴとの間で第ポエニ戦争が始まったりしている時代である。いくら当時の日本が遅れているとはいえ、原始人のような生活をしていたとは思えない。すでにこの時代に日本でも古墳なども発見されている。

 このあと700年程度経て4世紀後期あたりからは全国的に前方後円墳の分布が拡大していることから、大和朝廷の支配権が全国へ伸展したと見られている。現在の時の流れに比べ、はるかに時がゆっくりと流れていた時代での700年程度というのはそれほど大きな変化があるとは思えない。日本の古い歴史が古事記や日本書紀の記述を元にして見られていたことによって、それ以前の姿は明らかになっておらず、そのために認識に大きなギャップが生じているのではないかと思われる。縄文式土器を使っていた人たちは実際にはどのような生活を営んでいたのであろうか。
by nihonkokusai | 2005-08-15 11:00
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