国債の市中消化の原則(日銀による国債引受の禁止)確立の経緯
白川総裁は三重野元総裁が亡くなった際に、三重野氏が総裁就任前から「ゆるぎない信念と強靭な胆力」を持ち、戦後初めて発行された国債の市中消化原則確立などに尽力した功績を振り返ったと報じられていた。
このあたりの経緯については、三重野氏の名前は出ていないが、日銀の百年史にそれをうかがわせる記述があった。
戦後初めて日本で国債が発行される際に、大蔵省は市中消化が難しく一部を資金運用部り残りを日銀引き受けにという意見も残り、市中銀行は市中公募による発行に消極的で、さらに市中公募に賛成していた証券業界からも40年度分は日銀引き受けで発行すべきとの意見があったそうである。また、マスコミにも日銀引き受けで発行すべきとの意見があったと、百年史では指摘している。
そこで日銀は、「大蔵省のみならず各方面に対し、市中消化原則の考え方について理解を求める努力を開始した」。その努力の甲斐あって、大蔵省内で日銀引受論は次第に後退し、市中公募に消極的であった銀行は、IMF総会から帰国した当時の岩佐富士銀行頭取が、「国際信用という面からも市中消化にすべきである」と強調したことで、急速に市中公募方式の支持に傾いたそうである。このあたりの日銀の動きに、三重野氏が大きく絡んでいたことが考えられる。
ところで、昭和41年1月に日本で戦後最初に国債が発行された際、日銀は資金運用部の国債消化に必要な場合は資金運用部の金融債買い入れを行うこととしていた。昭和40年度の国債の市中消化をなるべく少額に抑えようとした結果、その負担が資金運用部にかかったが、資金運用部は年度後半に運用計画を見直すことが困難となるため、同年度限りとしながら資金運用部保有の金融債を日銀が買い入れる方針を定めた。
これについて日銀の100年史は下記のように記述している。
「この措置は国債の市中消化という大原則を長期に渡って確保するための、やむをえない一時の便法として打ち出されたものであるが、この買入れが事実上国債の日銀引き受けという側面を持っていたことも事実であり、その点で問題のあったことは否定できない」
その後、日銀は債券売買の対象に国債を買い入れるという問題が議論され、長期国債が断続的に発行される事態となり、長期国債を金融調節のなかにどのように組み込むかが検討の課題となった。その結果、政保債・金融債・電力債の売り戻し条件付き買入れという方式を長期国債の無条件買入れ(買切り)を中心とする方式にあらためることになったと日銀百年史にある。
これが日銀による国債買入のスタートとなるわけであるが、このあたりの経緯について、百年史はかなりあっさりとした記述になっている。資金運用部の金融債を一時的に買い入れることに対して、国債の市中消化という大原則からみて「問題のあったことは否定できない」としていながら、長期国債を直接市中から買い入れることについては、それほど問題視されなかったのであろうか。
国債が戦後初めて発行されるまで、債券といえば政保債、金融債や電力債が中心であり、その買い現先が資金供給手段となっていたのなら、日銀も買い入れではなく現先方式がまず検討されてもおかしくなかったようにも思うが、このあたりについてはもう少し当時の様子を探る必要もありそうである。
日銀が国債を買い入れるにあたり、発行後間もない国債を買い入れるということは、市中消化の原則からいって適当でないとの考え方から、発行後1年以内の国債は買入れの対象から除外することになった。ところが2002年1月に日銀、国債買入れ対象を発行年限別の直近発行2銘柄を除くに拡大している。このあたりの経緯についても、のちほどあらためて振り返ってみることにしたい。
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