「予見可能なものはリスクにはならない」
一昨年の債券相場の急落要因のひとつに、銀行などによるリスク管理の手法、バリュー・アット・リスクが指摘されていた。このリスク管理手法はある程度予測可能なリスクに対して用いられるものであり、想定外のリスクには対処しきれず、むしろ傷口を広げてしまう結果となった。これでは本来の意味でのリスク管理手法とは言えないであろう。機械的にリスクを管理することはかなり無理がある。
次期FRB議長にバーナンキ氏が指名されたが、前任のグリーンスパン議長がカリスマと言われた所以は、ブラックマンデーやLTCMの破綻、9・11のテロといった予見不可能であった出来事に適格に対応したことによるところが大きい。
日本のバブルについても、それが崩壊するまではリスクとしての認識はほとんどなかったのでなかろうか。もちろんバブル崩壊の危険性を指摘する声は皆無ではなかったが、のちに不良債権という爆弾を日本が抱え込み、長年にわたって日本経済が苦しむことになろうなどとは、少なくともバブルの絶頂期などには予見はできなかったはずである。
これを裏返してみれば、現在懸念されているようなものは、実はそれほど大きなリスク要因とはならない可能性が高い。もちろんそのリスクを考慮して事前に対処を施すことが可能なためでもあろう。たとえば米国の住宅価格の上昇をバブルもしくはグリーンスパン議長は泡とも表現したが、との認識が強まっていること自体、それが結果として米国経済に大きな打撃を与えることは少ないものと思われる。
原油価格の上昇というリスクに対しても、これは突発的に起きたものではなく、中国経済や米国経済の拡大といったものが根本にあり、今後についてもある程度の予見も可能なものであるため、やはり言われているほどのリスクとはなりえないものと思われる。もちろんハリケーンといった突発的な出来事による大きな価格変動といったものは予見不可能なため、これはリスク要因とも言える。
何事も、危ない危ないといわれているものは意外と起きず、まさに予想だにしなかった出来事が起きることでパニックが生じ、これがリスクとな。リスク管理能力とはそういったことに対処する能力のことであろう。