「祝、債券先物上場25周年」
1985年といえばプラザ合意を思い出す方もいよう。1985年9月22日にニューヨークのプラザホテルに秘密裏にG5と呼ばれた国(日本、アメリカ、イギリス、フランス、西ドイツ)の蔵相・中央銀行総裁が集まり、アメリカの貿易赤字と財政赤字の「双子の赤字」問題を是正するため、ドルを引き下げる方向で合意したものである。
プラザ合意が発表される前のドル円相場は1ドル242円であった。そして、合意発表後に開いた23日のニュージーランド市場では1ドル234円程度まで円高ドル安が進行した。ところが、大蔵省と日銀が必死の努力でドルを売り、口先介入などを行っても、そこからなかなか進まなかったのである。
そこで日銀は、10月25日に短期金融市場を操作して「第二の公定歩合」といわれた短期金利の高め誘導を実施した。短期金利を高くすることで、ドル売り・円買いの動きを誘ったのだ。当時の政策金利である公定歩合をいったん引き上げてしまうと、引き下げには決定会合を開くなどして、しっかりと理由を示して実施する必要がある。その点、短期金利の高め誘導は一時的な処置であり、必要なくなればすぐに元に戻せる。日銀のオペで2カ月物の手形レートは0.5625%上昇して7.125%となり、コールレートも上昇した。
債券先物にとってこのタイミングは最悪であった。短期金利を無理やり上げたことで、長期金利にも上昇圧力が加わり、債券が売られる展開となった。債券先物には大量の売り注文が殺到。そうでなくてもJGB先物は始まったばかりで、ご祝儀による大量の買いポジションを抱える証券会社が多かった。このため売りが売りを呼ぶ展開となり2日間値がつかないという大混乱となったのである。10月24日のJGB先物は101円63銭で引けていたが、25日、26日は値が付かず、ストップ安で張り付いたままとなった。28日にようやく96円63銭で寄り付いたものの、その後も下げて、11月14日に安値89円82銭を付けて、ようやく底入れしたのである。実に12円近い下落であった。
拙著、
「日本国債先物入門」より。
10月22日には、韓国でG20が開催される。この会合ではプラザ合意と同様に通貨問題が話し合われるとみられる。ただし、今回はドル安ではなく、世界的な通貨安競争に関して話し合いが行われる見通しとなっている。