「ロンドン証券取引所における白川日銀総裁の講演より」
これによると日本銀行の総裁がシティーで講演を行うのは初めてのようだ。最初に日本とロンドンとの歴史上の関係から話がスタートする。まずは、明治政府成立後わずか2年後の1870年に鉄道敷設を目的として日本が初めて国債を発行した場所はロンドンであると白川総裁は指摘した。
これについては拙著「金融のことがスラスラわかる本」でも記述したが、ヘンリー・シュローダー商会を通じた公募債として調達されることになり、公債収入金の取り扱いについての日本政府の代理店としてオリエンタル銀行が指定され、ロンドン証券取引所で公募され、1870年4月23日に九分利付きで外債100万ポンドの日本国債が発行されている。
1882年に設立された日本銀行が1904年に初めて海外事務所を設けた場所もシティーであり、若手スタッフが当地シティーの商業銀行に研修生として派遣され、そのうち2人は、のちに日本銀行総裁となっていると白川総裁は指摘している。日銀の歴代総裁一覧によるとこの二人のうち一人は第5代総裁の山本達雄氏のようだがもう一人は誰であろうか。
そして、白川総裁は「アーカイブに残されている過去の報告書を読み返すと、金融危機が必ずしも珍しい出来事ではないという事実に改めて驚かされます。危機は頻繁に発生し、不幸なことに、その教訓はしばしば忘れられてきました。」とも述べている。1800年代にはイギリスで何度も金融危機が発生していたが、確かに教訓は生かされず、それはその後の歴史でも同様であった。