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「ナショナル・バンク」

 今朝のテレビ東京のモーニング・サテライトに出演した五味前金融庁長官が最後の方で、日本は政府の管轄による「国立銀行」でスタートし、米国のような民間でスタートしたわけではない旨の発言があったが、この発言は事実と異なる。以下、拙著の「金融のことがスラスラわかる本」より、関連箇所を抜粋してみたい。

 米国の北部政府はグリーンバックの増発によるインフレ抑制のため、1863年に国法銀行が設立され、国法銀行による銀行券発行について規定する全国通貨法が制定されました。国法銀行は資本金の3分の1に相当する国債を購入し、これを担保に財務省から担保国債の価格の90%に相当する銀行券を発行したのです。1864年には同法を改正した国法銀行法により、銀行券の兌換は19の準備都市の銀行において集中的に行うこととされました。(日銀「中央銀行と通貨発行を巡る法制度についての研究会」報告書より)

 これによって南北戦争以前の複数通貨がグリーンバックと銀行券が流通する単一通貨の制度となったのです。この国法銀行制度を取り入れたのが日本から渡米し、現地視察を行った伊藤博文です。伊藤の建議により1872年12月に国立銀行条例が定められました。

(以上、「金融のことがスラスラわかる本」第5章より)

 銀行の設立も明治政府にとり大きな課題となりました。民間からも銀行設立の願いなどが相次いでいたのです。日本における本格的な商業銀行は、明治維新後に誕生した第一国立銀行とされています。明治政府は大蔵少輔伊藤博文の建議に基づいて、アメリカのナショナル・バンク制度にならった発券銀行制度を導入することとしました。

 この銀行制度の導入にあたっては、この伊藤案に対して、イングランド銀行をモデルにした中央銀行制度を導入すべし、とした吉田清成との間で銀行論争が闘わされていました。結局、井上馨の裁断によって、伊藤案が採用されることとなったのです。伊藤案を起案した人の中には、銀行界の中心的な人物となる渋沢栄一もいました

 1872年(明治5年)11月、国立銀行条例を制定しました。そして、国立銀行4行が設立され、銀行券発行が始まりました。銀行券の発行条件が厳しかったことなどから当初設立されたのは4行だけでしたが、条例の改正などにより全国的に銀行設立ブームが起こり、153行もの国立銀行が誕生しました。

 国立銀行という名称は、第一国立銀行の初代頭取となった渋沢栄一によりナショナル・バンク(連邦法に準拠して設立された銀行)の訳語として作られたのですが、文字通りの国立の銀行ではなく、政府とは資本関係のない民間の銀行でした。

(以上、「金融のことがスラスラわかる本」第6章より)
by nihonkokusai | 2009-05-07 10:39 | 短期金融市場
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