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牛熊ゼミナール金融の歴史第10回 株式会社の誕生

 新たな航路の発見により東方交易が拡大し、それが莫大な利益を生むことがわかり、次第に官民あげて取り組むことになりました。そこに生まれたのがジョイント・ストック・カンパニーです。

 航海というリスクが大きいながらも収益性の高い事業に対して国王から独占権が与えられ、それとともにすでに資金調達のために用いられ始めていた譲渡可能な株式が結びついて、ジョイント・ストック・カンパニーと呼ばれた巨大な株式会社が設立されたのです。

 その中でも特に有名なのが「東インド会社」です。オランダ、イギリスを始めフランス、ドイツ、スウェーデンなどもジョイント・ストック・カンパニーである「東インド会社」を設立し、東方交易に乗り出したのです。

 オランダからは複数の会社が東南アジアに進出したのですが、同国の会社間での競争が激化し共倒れの危険性があることから、過当競争を避けるために、1602年にオランダ東インド会社として統合されました。オランダ東インド会社の株式の譲渡は自由であり、株主の責任が有限責任であったことなど近代的な株式会社の性格を帯びており、その後200年間も存続し、ヨーロッパ諸国の株式会社のモデルとされたのです。

 イギリス東インド会社は、初期には航海ごとに臨時に会社が設立されて清算を行うなどしていたことで、すでに永続的な会社組織となっていたオランダ東インド会社との競争に勝つことができないとして、1657年に清教徒革命で有名なオリヴァー・クロムウェルによって、イギリス東インド会社の資本構造などの会社組織の改組が実施され、オランダと同じような永続的な企業組織となりました。ちなみにイギリス東インド会社は1613年に日本の平戸に商館を設置しています。

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by nihonkokusai | 2011-10-12 15:51 | 金融の歴史 | Comments(0)

海外からの日本への債券投資の動向

 11日に財務省は8月の国際収支状況(速報)を発表した。この中で、財務省のサイトにアップされた付表3にある対外・対内証券投資のうち、対内証券投資(地域別内訳)を見てみたい。

「国際収支状況」 財務省
http://www.mof.go.jp/international_policy/reference/balance_of_payments/release_date.htm

 この中でまず中国は、短期債が差し引き3456億円買い越しと、昨年10月以来の買い越しとなっていたが、中長期債については1667億円の売り越しとなっていた。

 8月の中長期債の買い越しが目立ったのはフランスの2598億円の買い越しである。フランスは昨年10月も2395億円の買い越し、また今年4月も1322億円の買い越しとなるなど日本の債券市場の上昇局面で買いを入れている。

 中国も今年4月に中長期債を1兆3300億円買い越し、5月も4971億円買い越していたが、6月には5085億円の売り越しとなるなど、ここにきて中長期債のポジションをやや調整させてきている。

 また、日本の債券への投資額が多い英国を見てみると、そのかなりの部分はヘッジファンドなどを経由してのものとよるとみられるが、昨年9月に1兆2353億円買い越してからは、11月から12月にかけてそれぞれ3024億円、8405億円の売り越しとなるなど相場下落時に売却を行なっていた。その後、1月から3月にかけては3896億円、3525億円、4908億円と再び買い越しとなり、5月には1兆7876億円の買い越しとなり、この月の相場上昇に影響を与えていた可能性がある。しかし、6月から7月にかけては3752億円、3423億円の売り越しとなり、相場が再び上昇していた8月も31億円の売り越しとなっていた。

 英国の短期債投資を見てみると8月は9兆9721億円の買い越しとなり、ここ一年の中では最大規模の買い越し額となっている。これは欧州の債務不安などにより、安全資産として一時的に円債に資金が滞留したためとみられる。

 ここ一年の海外からの日本の債券、それは主に国債と思われるが、その投資の動向を見てみると、英国経由の資金が相場の上げ下げを助長しているように見られ、フランスも似た動きながら英国とはタイミングをやや異にしている。中国については、今年4月から5月にかけて保有する日本の債券の残存年数を延ばしてきたが、その動きはどうやら一時的であったように思われる。


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by nihonkokusai | 2011-10-12 08:22 | 債券市場 | Comments(0)

牛熊ゼミナール金融の歴史第9回 証券取引所の設立

 金融・貿易の一大拠点として繁栄したブリュージュに変わり、アントワープがヨーロッパの商業拠点となり、喜望峰周りのインド航路の発見によりその繁栄は支えられました。このアントワープ(アントウェルペン)に1531年、現在のようなかたちの証券取引所が歴史上初めて設立されたのです。

 ブリュージュにおける手形の取引所をモデルにしてつくられたアントウェルペン取引所では手形や商品などの取引が行なわれていました。ここでは現金による決済以外にすでに商品のオプション取引に対する契約も扱っていました。このオプションは現在のデリバティブ取引と同様に、ヘッジとともに投機としても使われました。さらに債券を取引する第二市場も現れたのです。

 アントウェルペン取引所の銘板には「国籍と言語の如何を問わず、すべての商人に役立てるために」とあるそうで、交易の自由が保証され、イギリスやポルトガルなどヨーロッパ各国が商館や駐在員を配置し、資金調達などを行っていました。またアントウェルペンでは「アントウェルペン慣習法集成」という商法も制定され、この商法がオランダの東インド会社の設立に大きな影響を与えたとも言われています。そこでは船舶の売買に加え海上保険といった取引も盛んに行われ、ヨーロッパ最大の商業・金融の中心地となっていたのです。

 アントウェルペン取引所の取引で一躍有名になった人物がいます。それが「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉でも有名なトーマス・グレシャムです。グレシャムはイギリス王室から海外負債管理の任務を託され、アントウェルペンに派遣されました。アントウェルペン取引所において商才というか相場師の才能を発揮し、スペイン金の投機で成功し、イギリスの海外負債の大部分を清算した結果、1559年にはエリザベス1世からナイトの称号を与えられました。アントウェルペン取引所の運営に目をつけたグレシャム卿は、ロンドンに戻ってから同様の取引所を設立し、それが王立取引所と改称され、イギリスにおける取引所の始まりになるのです。

 参考までに、証券取引所とは主に株式や債券など証券の売買取引を行うための場所であり、資本主義経済における中心的な役割を果たしています。国や企業などの資金調達と投資家による資本運用の双方が効率的に行われるようにするため、株式や債券の売買を取引所に集中させて行います。証券取引所は、投資家や証券会社自身の株式などの売買注文を市場に集中させることにより、大量の取引を可能にさせ、市場の流動性を高めるとともに、公正な価格形成を図るということが可能となっているのです。投資家は証券取引所で自らが直接取引を行うことはできません。会員である証券会社を通じて取引を行わなければならないのです。証券取引所における取引においては、大量の売買注文を公正かつ円滑に執行するために、取引時間、値段を指定する方法、取引単位、決済方法などについての細かな規定が定められています。また、売買は基本的に競争売買によって行われています。



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by nihonkokusai | 2011-10-11 14:55 | 金融の歴史 | Comments(0)

牛熊ゼミナール金融の歴史第8回 大航海時代

 15世紀になるとオスマン朝トルコは、イタリア諸都市の海軍に勝利して地中海の制海権を握り、貿易により栄華を誇っていたイタリア商人の活動は次第に抑制されてきました。ポルトガルとスペインの両国は国王を中心とした中央集権制度を設立させており、強力な国家権力のもと、アジアから伝わった羅針盤などを使っての航海技術や造船技術の発展も加わり、新たな交易ルートの開拓が行われようになったのです。

 ポルトガルとスペイン両国は競い合って海に乗り出し、1488年ポルトガル人のバルトロメウ・ディアスは船団を率いて困難の末にアフリカ南端の喜望峰に錨を下ろしました。1492年にジェノバ商人のクリストファー・コロンブスはアジアへの西航路探索の過程でアメリカ大陸を発見しました。そして、1498年にポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマは喜望峰を回ってインドに達しました。そして、1522年にスペイン王の命を受けたポルトガル人のマゼランが世界一周を達成したのです。

 初期の航海は嵐による難破や、マゼランが航海途中で受けたような敵からの襲撃、さらに疫病などにより、乗組員の生還率は2割にも満たないともいわれ大変危険なものでした。しかし、遠征が成功すれば、新たな貿易路が開拓されることで交易に伴う莫大な利益が転がり込むとともに新たな領土も手にすることができたのです。航海に成功した冒険者はのちの世界史に残るほどの名声とともに、莫大な富が転がり込んだのです。

 ちなみに、すでに日本語化しているリスク(risk)の語源は、俗ラテン語の「risicare」に遡れるとされ、それは「絶壁の間を縫って航行する」ことを意味しています。リスクには危険に身をさらすという意味も含まれながらも、試してみることや冒険してみることと言った意味が含まれ、そこには冒険の愉しみという気持ちも込められています。投資の際にも使われるリスクとは、失敗の危険性はあるものの成功を目指して期待に胸膨らませながら果敢に試みることを意味しているのです。

 アメリカ大陸に進出したスペインは、アステカ・インカ両帝国を征服してその地を領有しました。1545年に発見されたボリビアのポトシ銀山で大量の銀が採掘され、ここで採掘された大量の銀はスペインに運び出されました。イギリスの女王エリザベス一世は、フランシス=ドレークやホーキンズらの率いる海賊に、これら銀船隊を襲わせてその富を奪った話は有名です。

 安価な大量の銀・金がヨーロッパに流入したために貨幣価値が大幅に下落し、物価を高騰させました。これがいわゆる「価格革命」です。アメリカ大陸からからヨーロッパへ流れた銀は、ヨーロッパがアジアから購入する香辛料などへの支払いに当てられました。さらにアメリカ大陸の需要などから、ヨーロッパのさまざまな産業が発展し、アジアを含めて新たな世界商業のネットワークが構築され、これによりヨーロッパの商工業はそれ以降、活況を呈することとなるのです。イギリス艦隊とスペインの無敵艦隊が戦った1588年のアルマダの海戦の敗北などによってスペインは次第に衰退し、その後、イギリスやオランダが制海権を得て台頭してくることになります。

 16世紀後半から17世紀前半にかけて日本も世界で有数の銀産出国でした。黄金の国ジパングの金銀の獲得を目指して、中国やポルトガル、オランダが日本との貿易に乗り出してきたのです。戦国時代になると、大規模な築城が行なわれるなど土木技術が発達し、それが鉱山開発に応用され、大量の採掘が可能となる坑道を掘って鉱石を採取するようになりました。さらに、銀の精錬技術である灰吹法が中国や朝鮮から伝えられ、この新技術により効率的に銀が抽出されるようになったのです。

 2007年に世界遺産に登録された現在の島根県にある石見銀山を中心に大量の銀が国内で採掘され、17世紀当時の日本の銀産出量は世界全体の三分の一に相当しました。ポルトガルは日本の銀を介在してのアジアでの三角貿易を行いました。中国で購入した生糸などを日本に持ち込み、それを銀と交換し、その銀をもとに中国産の絹織物や陶磁器、東南アジアの香辛料を買いつけました。それらを本国に持ち込んで利益を得ていたのです。金銀が交換手段として受け入れられたのは、それらが中国との交易に利用できたからです。

 当時の明では、マルコ・ポーロが見たという元で発行されていた紙幣(交鈔)にならって宝鈔と言う紙幣を発行していました。これは完全な不換紙幣であったことに加え、紙幣価値を保つための政策は何も行われておらず、このため価値は下がり続け、それに代わりこの時代に日本や南米から大量に流入された銀が通貨として使われるようになりました。

 これに対して何度か使用禁止令が出されたものの効果は無く、課税対象を土地に移し銀による納税とした「一条鞭法」の採用によって事実上、銀が明の通貨となり銀への需要が高まっていたのです。







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by nihonkokusai | 2011-10-08 15:19 | 金融の歴史 | Comments(0)

欧州危機囲い込みとウォール街のデモ

 欧州債務危機の深刻化を受けて、少しずつではあるがそれを封じ込めようとの動きが見え始めている。ドイツのメルケル首相は、必要性が明らかであれば金融機関へ資金を投入すべきだと発言したが、EUのバローゾ委員長も、銀行の資本増強の努力を各国が一致して支えていく、と述べるなど、EU各国が協調して域内銀行の資本増強を支えていく考えを示した。

 6日のECB理事会では、一部期待のあった利下げこそ見送られたが、1年物の資金供給オペを再開し、またカバード債の購入を11月から再開することを決定した。トリシェ総裁は記者会見で、据え置き決定に関しては意見が分かれ、総意によって据え置きを決めたとし、利下げに対する議論も行なわれたことを示した。

 6日のイングランド銀行の金融政策委員会では、資産買い入れプログラムの規模を750億ポンド上積みし2750億ポンドにすることを決定した。量的緩和策拡大の理由のひとつに、ユーロ圏の一部の国の債務危機や金融機関の債務問題がもたらす脆弱性が指摘されていた。

 これらの動きを受けてロンドン株式市場をはじめ欧州の株式市場は、銀行株などを中心に大幅高となった。また、ガイトナー米財務長官は、米国の銀行は強化され2008年のリーマン破綻のような事態は決して再発しない、と発言しこれも好感されたのか、米国株式市場でも銀行株などを含めて買いが入り、6日のダウ平均は3日続伸となり、前日比183ドル高で引けている。

 これらの一連の動きは、ギリシャを発端とする欧州の金融危機に対し、それがイタリアやスペインに波及し、さらに欧州の金融機関に影響を与え金融システム不安が拡大することを封じようとの行動であることは確かであり、実際に一定の効果はあったと思われる。

 しかし、これら一連の動きは中央銀行頼みの姿勢とも受け取れる。これはユーロ圏内各国が国内事情により動きが取り辛いためというのも大きな要因となっていよう。とは言うものの、動きが取りにくい中にあり、EU各国が協調して域内銀行の資本増強を支えていくといった姿勢は、危機囲い込みには有効な手段であると思う。

 ただし、ここで注意したいのは、ニューヨークのウォール街での大規模なデモの動きである。経済格差反対を訴えて、ニューヨーク・ウォール街で始まったデモは拡大の一途をたどっており、警察との衝突も発生している。マスコミが騒ぎすぎているとの指摘もあるかもしれないが、完全に無視してよいものとも思えない。

 日本でも不良債権処理に対しては公的資金の投入が最終的に決定されたことで、一時の危機は回避されたとの見方も強い。リーマン・ショック後の米国でも同様に金融機関を保護することより最終的に危機を封じ込めた。同様のことを現在、欧州でも行なわれようとしている。過去の例を見る限り、これは適切な手段といえそうだが、果たしてこれが欧州域内の国民に素直に受け入れられるのであろうか。

 特にウォール街でのデモがこのままエスカレートするようなことになれば、欧州での世論に対して微妙な影響を与える可能性もある。ウォール街でのデモに共感するような見方が欧州でも広がるようなことになれば、金融機関へ公的資金を投入すべきだとするメルケル首相などに対し、批判の声が上がることもありうる。

 昨日は9月の米雇用統計の発表があり失業率は9.1%と高止まりとなった。、ウォール街でのデモはこの失業問題が大きく影響しており、雇用情勢の動向に対しても注意する必要はある。それとともに金融経済危機に対する政府による金融機関への対応への問題点が、今後欧米であらためて問われる可能性もあり、これが欧州危機囲い込みのリスクになる可能性もある。


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by nihonkokusai | 2011-10-08 07:49 | 国際情勢 | Comments(0)

牛熊ゼミナール金融の歴史第7回 メディチ家

 世界最初の銀行が設立され、政府による本格的な政府による債務の調達が開始され、現在の金融システムに近いものが構築された金融取引が活発化した12世紀のベネチア、ジェノバなど北イタリア諸都市で、早くも金融危機が起こっていました。

 14世紀初頭になりトスカーナ地方で破産が多発し、当初の破産は限定的な地域に止まったものの、まもなくそれは広範囲な金融危機となっていったのです。フィレンツェ地方で銀行業務を営んでいたバルディ、ベルッツィなどの商会は、ヨーロッパ各地に支店を持ち、王侯や貴族に対して融資をしており、特にイギリス王との関係が深く、エドワード三世に対して巨額の資金を貸し付けていました。

 1339年、のちに英仏百年戦争と呼ばれたフランスとの戦争が勃発し、英国王室と関係の深い両銀行は戦費を引き受けざるを得なくなりました。戦争は莫大な出費を伴い、債務総額は王国の価値に匹敵する、とも言われたのです。さらにバルディ、ベルッツィなどの商会が英国の戦費を賄っていると知ったフランス王は、対抗手段としてフランス全域に有る両銀行の支店を閉鎖させ資産を没収しました。これを受けてバルディ、ベルッツィの両商会は、貸付先の英国に返済を求めたのですが、英国は莫大な債務を支払う能力は無く、その結果として債務不履行は避けられず、銀行業を営んでいた商会は一時支払停止をせざるを得なくなったのです。

 苦境に立たされたバルディ、ベルッツィは倒産し、フィレンツェの経済は大混乱を招いてしまいました。フィレンツェの政治も混乱を極め、一時的に民主自治の制度を放棄するという事態も招いたのです。さらに追い討ちを掛けるようにペストが猛威を振るったのです。

 地中海諸島に広がったペストは1348年にヨーロッパ全域に広がりました。フィレンツェの北で医薬業を営んでいたと思われるメディチ家は、ペストの治療薬により莫大な財を築いたとのではないかとの説もありますが、有力商人となったメディチ家は1397年に自身の銀行を設立し金融業に進出したのです。バルディ、ベルッツィなどの商会がイングランド王などを相手にした貸付で失敗し、倒産したことなどにより、メディチ銀行は大銀行に躍り出ます。

 メディチ銀行はローマやベネチアなどへ支店網を広げ、情報のネットワークを構築し、国際的な信用機構も作り上げました。また、ローマ教皇庁会計院の財務管理者ともなり、教皇庁の金融業務で優位な立場も得たことで、目覚しい発展を遂げることになります。当時の王室や教会などの支配階級にとり、金融のスペシャリストである銀行家はなくてはならない存在となっていたのです。

 ただし、当時のキリスト教は利子を取ることを禁じていました。このため利用されたのが外国為替取引です。利子はアジオと呼ばれた異なる通貨の換算率の中に含まれ、手数料という名目で利子を取っていたのです。

 メディチ家は銀行家として成功を収め、さらに政治にも進出しました。家門の中からローマ法王を二人輩出し、のちにはトスカーナ大公国の君主となりました。また、ルネサンス期の様々な芸術家たちのパトロンとなったことでも知られています。

 メディチ銀行はバルディ、ベルッツィの破綻を教訓に、事業の分権化を図るなど一部地域の破局の連鎖を食い止める策を講じたものの、フランスのイタリア進行によりメディチ家の全財産は没収され、メディチ銀行も倒産という憂き目にあうこととなります。




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by nihonkokusai | 2011-10-07 16:14 | 金融の歴史 | Comments(0)

来年度予算案の概算要求は過去最大の98.4兆円に

 5日に締め切られた2012年度予算案の一般会計概算要求は、98.4兆円に上ることになった。要求総額は3年連続で過去最高を更新した。

 国の予算編成の流れとしては財務省がそれぞれの省庁に対して、来年度予算として、どのくらいのお金が必要かを聞くところから始まる。これが翌年度予算において必要な金額を要求する概算要求と呼ばれるものである。

 概算要求の前に財務省から要求の基準が設定されるが、この基準が概算要求基準(シーリング)と呼ばれるものである。シーリングとは天井、つまりこの場合には要求の限度額の事である。

 2009年9月に自民党から民主党に政権が交代し、民主党は前内閣が決定したシーリングを廃止し、あらたな上限枠は設けずに、民主党のマニフェストの内容を反映した要求を求めた。ところが菅政権になってから概算要求基準が復活している。

 2012年度予算編成においては9月20日に概算要求基準が閣議決定された。概算要求基準では、政策経費を1割カットし、削減分の1.5倍まで再生枠に要求できるようにした。歳出の大枠を2011年度当初予算並みに抑える一方、復興費は別枠扱いで、要求に上限を設けないとした。一般会計予算全体では、国債費などを除いた政策経費の上限は今年度と同じ71兆円程度に、新規国債発行額を44兆円以下に抑えるとしている。

 概算要求基準に基づいて政府各省庁が財務省に提出する次年度の予算要求を行う。これが概算要求となる。各省要求額のうち、国債費や人件費などを除いた政策的経費はいずれも前年度当初予算を1割以上、下回り、概算要求基準を満たした。しかし、上限を設けずに受け付けた震災復興対策関連の要求額が3兆5051億円となったことで、全体が押し上げられた。

 国債費や復興関連経費を除いた歳出の大枠は72兆3635億円で、今後、中期財政フレームで定めた70兆9000億円以下の水準まで削り込むことになる。

 震災復興とデフレ脱却のための成長促進のためには、ある程度の規模の歳出も必要となろうが、いくら中期財政フレームで定めた経費を絞り込んでも、新規国債の発行規模は44兆円規模が予想される。

 2011年度予算では、歳出規模は92.4兆円、国債費を除いた基礎的財政収支対象経費は70.9兆円、そして新規国債の発行額は44兆円規模となっている。ただし、震災復興のための第三次補正予算によりあらたに復興債が発行される予定でもあり、国債の発行額は実質的に44兆円を上回ることになる。

 2011年度の税収は41兆円を見込んでいる。税収そのものは前年度に比べて増加しているようだが、それでも税収が国債発行額を下回るという異常な事態が続いている。

 巨額の借金を抱えながら、収入以上の借金をしているのが、現在の日本の姿であり、いまのところは資金の貸し手には困っていないとはいえ、このような状況がこのまま継続できるとは思えない。

 今年は東日本大震災と原発事後が重なり、復興のためには国の関与が必要となる。今後5年間の復興費は19兆円規模と政府は見積もっている。ただし、これまでの日本の財政を見てみても、財政再建をすすめようとするたびに、何かしらのショックや災害等により、その動きは抑えられ、結果的に歳出規模は膨らみ、税収は落ち込むというワニの口が形成され、それが一向に改善する見込みはない。

 本来、日本の国債の利回りが財政の健全化を示すモニターとして機能するはずであるが、モニターの針は10年以上、ひとつの基準ともみられる2%というラインを超えることなく低位で安定している。このモニターの数値を見ている限り、まだ借金を続けることは可能と見られる。

 ただし、ダムに溜まる水には当然限度がある。外から見て、そのダムの具体的な大きさや水の許容度はわからず、水が一杯になったのかどうかは、それが溢れ出すか、ダムそのものが崩壊してはじめて知ることになる。長期金利という財政モニターも水が溢れ出すのを確認するまでは、動かないのかもしれない。しかし、いったん溢れ出した水が確認されると、モニターの数値を一気に引き上げることになる。

 そのような状況に陥りさせないようにするにはどうしたら良いのか。とりあえずは、来年度の歳出規模をなるべく抑えることしかできないかもしれない。しかし、もう少し先を見据えての行動も起こしておかないと、いつか水は溢れ出すことも確かであろう。


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by nihonkokusai | 2011-10-07 09:28 | 財政 | Comments(0)

牛熊ゼミナール金融の歴史第6回 銀行の誕生

 日本では銀行と訳された英語の「Bank」の起源も、政府による本格的な債務が開始された12世紀の北イタリアにあるとされています。英語の「Bank」の語源は、欧州圏の貨幣供給が増加し交易が活発化する中、当時の世界の貿易・文化の中心地であった北イタリアに生まれた両替商が両替のために使用したイタリア語「BANCO」(長机、記帳台)に由来するとされています。

 ローマ・カトリック教会と連携した北イタリア商人は絹や香辛料貿易を活発に行っていました。十字軍に財政的な支援を行なった見返りに、十字軍の支配下に組み込まれた地中海東部全域における特権を得ていたのです。

 この遠隔地間の交易のための開発されたのが「為替手形」でした。あらたな信用供与手法が構築されたことなどから、12世紀から14世紀にかけての北イタリアに「銀行の起源」があるとの見方があります。

 12世紀のジェノバにはバンゲリウスという言葉が両替商を意味し、この両替商は預金を受け入れ、地元の事業主に貸付を行なっていました。また、13世紀のベネチアでは、バンコ・ディ・スクリッタと呼ばれる直訳すれば「書く銀行」、つまり帳簿上で決済を行なう振替銀行も誕生していました。

 為替手形の開発などによって、銀行業を介在とした財の生産、そして交易によって中世の西欧経済が発達しました。ヨーロッパ各地の物産が交換され、また国内外の負債が決済される場でもあった国際定期市が、交易商人兼銀行家が特に活躍する場となりました。そして、イタリア人は商人から銀行家へと転職し、その代中にはルネサンス期を代表する銀行家・政治家となったメディチ家などがありました。

銀行の起源としては、17世紀のイギリスに求められるとの説もあります。当時の金の細工商であったゴールドスミスは、ロンドンでも一番頑丈な金庫を持つとされました。金を手元に抱え込むリスクを懸念した金所有者は、この金庫を持つゴールドスミスに金を預けるようになったのです。

 ゴールドスミスは金を預かる際に、預り証を金所有者に渡し、この預り証(goldsmith note)が、現代の紙幣の起源との説があります。ゴールドスミスは、この金の預かりをしているうちに、預けられている金が常に一定量を維持していることに気が付き、預けられた金を運用するようになりました。こうして貸し出し運用が開始されたことで、これが銀行の始まりであるとの説があります。


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by nihonkokusai | 2011-10-06 14:49 | 金融の歴史 | Comments(0)

日本の長期金利は1990年の8%台から低下基調に

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 前回は日本の長期金利が2%を割り込んだ1997年の様子を見てきたが、それでは日本の長期金利はいつごろから低下を始めたのかを確認してみたい。

 1989年5月に日銀は公定歩合を3.25%に、さらに10月には3.75%に、12月には4.25%と引き上げ、完全に金融引締策へと転向した。それでも、バブルの勢いは年末まで続き、日経平均株価は、その年の大納会の大引けで3万8915円を付けた。結局、これがそれ以降20年以上にわたる株価の最高値となる。一方、債券相場は、公定歩合の度重なる引き上げによる短期金利の上昇で長短金利が逆転するという事態となっていた。

 1990年は債券安・株式安・円安のトリプル安でのスタートとなったが、米国金融緩和期待の後退、ソ連情勢の悪化、日銀による公定歩合の再引き上げ観測などが要因であった。日銀は3月20日に1.00%という大幅な公定歩合の引き上げを実施し、5.25%まで引き上げた。

 8月2日にイラク軍がクウェートに侵攻すると原油価格が急騰し、インフレ懸念が一段と高まった。その後、原油価格は下落したものの、物価上昇を意識してか、日銀は同月30日に公定歩合を0.50%引き上げ、年6.00%とした(第五次公定歩合の引き上げ)。これを受けて債券先物は急落し、9月27日には債券先物市場開設以来の安値となる87円8銭にまで下落した。長期金利もこの頃は8%台にあり、直近のピークをつけたのである。株価も大きく下落し、10月1日に日経平均株価は2万円を割り込んだ。

 バブルの波に乗り、民間消費や民間設備投資に主導された経済成長が持続したことで、申告所得税、源泉所得税、法人税、そして有価証券取引税などを中心に税収は伸び、この時期には、一般歳出は抑制され続け財政再建策が取られていたことで、財政状況は大きく改善した。1989年4月からは、所得税や法人税などの大規模な減税と引き換えに消費税が導入されたこともあり、この結果、1990年度には特例国債依存から脱却するまでになったのである。

 つまり、日本の長期金利が直近のピークにあった時点では、近年の中で、日本の財政状態は比較的健全な状態にあったといえる。

 1990年9月、債券先物は史上最安値で底入れし、米国の金融緩和政策への転換や、円高などを受けて上昇基調に転じた。長期金利もピークアウトし、これ以降、低下基調となるのである。1991年7月からの日銀による度重なる大幅な公定歩合の引き下げも(1992年7月までに3.25%に)、債券相場にとって好材料視された。

 1991年に入り、日銀は6月に短期金利の低め誘導を行い、7月1日には公定歩合を6.0%から5.5%に引き下げ、さらに11月14日、12月30日と続けて公定歩合を引き下げて4.5%としたが、これによる効果は限られた。

 1992年1月に地価税が導入され土地神話は完全に打ち砕かれた。3月末に公共事業の施行推進など緊急経済対策が決定し、公定歩合も3.75%に引き下げられ、7月にも0.5%の追加引き下げが実施された。8月には総合経済対策が策定され、公共事業投資の拡大などを主体とした事業規模は10.7兆円までに達した。

 1993年1月に大蔵省資金運用部が初めての国債買い入れを実施した。バブル崩壊後の景気回復が思わしくないなか、米国による内需拡大要請もあり、1993年4月に宮沢首相(当時)は事業規模13兆円の景気対策を実施したのであった。

 1991年からの度重なる景気対策に伴う公共債の増発によって、その後、国債市場では需給悪化懸念が広まり始めた。そして1994年1月、高値警戒感も強まっていたところに、大蔵省資金運用部が約11年ぶりに債券の売りオペを実施したことも手伝い、これによって、債券価格は一時大きく下落したのである。長期金利は1993年末に3%台半ばにあったが、1994年夏にいったん5%近くまで上昇した。


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by nihonkokusai | 2011-10-06 08:22 | 債券市場 | Comments(0)

牛熊ゼミナール金融の歴史第5回 紙幣の誕生

 中国の唐の時代の後期には、茶・塩・絹などの遠距離取引が盛んになるなど商業の発達に伴い銭貨の搬送を回避する手段として「飛銭」と呼ばれた送金手形制度が発生しました。高額商品の売買には銭貨の「開元通宝」などでは量がかさんでしまう上、途中での盗賊などによる盗難の危険もあります。このため、長安や洛陽などの大都市と地方都市や特産品の産地などを結んで、当初は民間の富商と地方の商人との間によって「飛銭」という送金手形制度が開始されたのです。

 これはたいへん便利なものであるとともに、手数料収入に目を付けた節度使(地方の軍司令官)や三司(財政のトップ)などもこれを模倣しました。飛銭を利用する際に使われた証明書(預り証)が、宋代になると交子・会子・交鈔・交引などと呼ばれ、証明書それ自体が現金の代わりとして取引の支払に用いられるようになりました。特に四川地方で発行された「交子」が世界史上初の紙幣とされています。

 紙幣はたいへん便利なものであったことで、その需要が増え、それに目をつけた政府は軍事費に当てるための財源として交子を乱発し、その価値を失ってしまいました。新たな紙幣を発行するものの、やはり信用を落としてしまい、最終的には銅銭が復活することになります。

 しかし、なぜ中国で世界最初の紙幣が誕生したのでしょうか。貨幣の材料となる貴金属などの産出が限られていたこともありますが、宋や元の時代の国家権力が強かったことも要因と指摘されます。それとともに遠隔地との交易など商業の発達がそれを促したものといえます。忘れてならないのは、紙そのものが中国で発明されたものであり、さらに印刷術も発達していたことが、紙幣の発行を可能にしたのです。

 マルコ・ポーロの「東方見聞録」には、元で通貨ではなく紙幣で買い物をする様子を見て驚く場面が登場します。これからも当時のヨーロッパなどでは紙幣が使われていなかったことがわかります。


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