「ほっ」と。キャンペーン

牛さん熊さんブログ

bullbear.exblog.jp ブログトップ

<   2011年 09月 ( 24 )   > この月の画像一覧

牛熊ゼミナール金融の歴史第4回 日本におけるお金の起源

 日本におけるお金と金利の起源について、歴史を探りながら見て行くことにしましょう。最近の中学生の社会の教科書などを読んでみると、昔の教科書とは、特に古代の記述が大きく変っていることに驚きます。たとえば青森県で発掘された三内丸山遺跡によって縄文時代の認識が大きく変わっています。縄文人は裸同然の格好をして主として狩猟で生計を立てていたと私たちは習った記憶がありますが、実際にはすでに縄文時代から貨幣を媒介とした財物の交換が広く行われていたことが明らかとなっているのです。

 当時は、矢じり、稲や布帛など交換価値が高いと認められた財物が物品貨幣として機能していました。ただし貨幣の役割のひとつ、価値の保蔵という観点からみると、稲や布などは耐久性の面で難点があり、貯蔵に際しては倉を建てる必要があるなど余分な費用負担も問題となります。富の蓄積が進むにつれて、日本の古代でも金銀といった貴金属のほか、瑠璃玉や紫水晶など耐久性に優れた奢侈品が富の蓄蔵手段として次第に使われていきました。

 金銀などの貴金属を貨幣として利用するに際には、地金などよりも一定の重量に鋳られた固まりのほうが便利です。飛鳥板蓋宮伝承地など7世紀後半の飛鳥時代を代表する遺跡のなかから「無文銀銭」と称される、小孔が穿たれただけの銀製の小円板が出土しています。この無文銀銭も和同開珎銀銭1枚と同等の価値を有する「貨幣」ではないかとする考え方が強まってきています。

 708年の和銅元年にわが国最初の「公鋳貨幣」として「和同開珎」が律令制府により鋳造されました。701年に「大宝律令」が完成し、平城京への遷都の準備中でもあった矢先に、現在の関東地方の武蔵国秩父郡で和銅が発見されました。遷都などで大量の資金が必要としていた政府は、中国などに習って貨幣発行の準備していたところでもあり、政府は年号まで「和銅」と改元して、わが国最初の公鋳貨幣を発行したのです。和同開珎は唐の時代に発行された「開元通宝」がモデルとされていますが、始皇帝が銭貨を統一する際から中国で用いられた円形方孔貨となっています。この和同銅銭には1個1文の価値が付され、江戸時代末までの約1200年間にわたってわが国貨幣制度のなかで重要な役割を果たした銭貨の基礎がこれによって構築されました。

 和同開珎以前に存在した貨幣として上記の「無文銀銭」と「富本銭」が知られていますが、「和同開珎」が広範囲に貨幣として流通した日本最古の貨幣として認識されています。結局この「和同開珎」は畿内とその周辺では貨幣として使われたようですが、地方では富と権力を象徴する宝物としてしか使われなかったようです。

 和同開珎が作られた後、奈良時代から平安中期にかけて12種類の銅銭が公式に鋳造されました。これが皇朝十二銭と呼ばれているものです。いずれも形は円形で中央に正方形の穴が開いている円形方孔貨です。また、銅銭以外に銀貨として和同開珎銀銭や金貨として開基勝宝も作られましたが、広く流通することはなく、通貨としての機能は発揮されませんでした。

 皇朝十二銭を発行順に並べると、和同開珎(708年)、万年通宝(760年)、神功開宝(765年)、隆平永宝(796年)、富寿神宝(818年)、承和昌宝(835年)、長年大宝(848年)、饒益神宝(859年)、貞観永宝(870年)、寛平大宝(890年)、延喜通宝(907年)、乾元大宝(958年)となります。

 皇朝十二銭が発行された目的は、唐の開元通宝を手本に、日本における貨幣制度を整えることでしたが、もうひとつ平城京遷都などに伴う公共事業費のための財源作りも大きな目的となっていました。貨幣1文は平城京造営などの使役に対する1日分の労賃に相当し、原料の銅素材に対して3~5倍に相当する高い価値が与えられたそうです。

 しかし、私鋳銭と呼ばれる偽金を造る者が多く現れたことや、飢饉による米価の高騰に加え、材料となる銅の不足などから銭貨が小型化し、粗悪な品質の銭が次々に発行されたことで、銭の価値はしだいに下落していきました。

 平安時代に編纂された歴史書「日本紀略」に、987年に15の寺院で80人の僧が7日間にわたり銭貨の流通を祈願したとの記述があるように、粗悪となった銭は次第に使われなくなり、また政府による大規模な公共事業もなくなってきたことで、次第に銭を発行する意義が薄れ、乾元大宝を最後に皇朝十二銭の鋳造が取りやめとなりました。 これ以後、豊臣秀吉が貨幣をつくるまでの約600年の間、日本では統一した貨幣は造られませんでした。


*** 「牛さん熊さんの本日の債券」メルマガ配信のお知らせ ***

「牛さん熊さんの本日の債券」をメルマガで配信しております。

毎営業日の朝と夕方にその日の債券市場の予想と市場の動向を会話形式でわかりやすく解説しています。
10年以上も続くコンテンツで、金融市場動向が、さっと読んでわかるとの評判をいただいております。
昼には、コラムも1本配信しています。
毎営業日3本届いて、価格は税込で月額1050円です。
登録申込当月分の1か月は無料でお読み頂けます。
ご登録はこちらからお願いいたします。

http://www.mag2.com/m/0001185491.html
[PR]
by nihonkokusai | 2011-09-30 19:38 | 金融の歴史 | Comments(0)

IMFによる日本への警告

 IMFが9月20日に発表した「財政モニター(要旨)」をもとに、日本に関する指摘を確認してみたい。

 「ユーロ圏では、多数の国が、多額の赤字の削減と中期的計画の明確化において順調に前進し、財政機関の強化にコミットしている。それにもかかわらず、イタリアやスペインなど比較的大規模な国で、国債のスプレッドが大幅に上昇した。これは、市場心理が急変する可能性を示している。日本と米国は、財政調整計画の提示および実施においてさほど前進していないが、金利は歴史的な低水準にとどまっている。」

 「日本と米国は、金融市場の圧力がユーロ圏に拡大した速さやその影響力を戒めとすべきである。日本と米国の低金利は、国内および機関投資家の大規模な基盤など、急激には変化する可能性が低い構造的要因が一因である。さらに、赤字、債務比率、予測される年齢に関連した支出の伸び(米国)といった標準的な財政指標の多くが、大きな市場圧力下にある多くの欧州諸国と同水準となってはいるものの、両国政府が投資家から得た多大な信用を反映している。しかし、両国の信頼性は、十分に詳細かつ意欲的な、赤字および債務の削減計画が導入されなければ、突如弱まる可能性がある。」

 どうやらIMFは日本と米国について、非常に似たような状況にあるとみなしているようである。ここでは財政調整計画と約されているが、財政健全化策や財政再建が日本では一向に進められていないことは明らかである。もちろん、今回の東日本大震災の影響もあるが、それ以前に日本が財政健全化を進めようとするたびに、バブル崩壊とその後の不良債権問題、リーマン・ショック等々によりそれが頓挫してしまい、健全化の先送りが続いている状況にあることは確かであろう。

 「日本と米国は、金融市場の圧力がユーロ圏に拡大した速さやその影響力を戒めとすべきである」とのIMFの警告は、真摯に受け止める必要がある。日本では国内資金で政府債務のほとんどが賄われており、巨額の国内資金を運用する国内機関投資家の存在が日本国債の大きな受け皿となっている。この構図が急激に変化する可能性は当然ながら低い。

 さらに日本と米国の国債については、両国政府に対する投資家からの多大な信用(credibility)が反映されていることも、日米の長期金利が歴史的な低水準にとどまっている大きな要因となっている。

 しかし、IMFが警告しているように、両国の信頼性は、意欲的な財政再建をすすめることがなければ、突如弱まる可能性がある。信用や信頼性は築き上げるにはかなりの時間を要するが、それが崩れ去るのは、ギリシャの事例を見てもあきらかなように、瞬時である。

 「日本については、災害救援および復興が当面の主要優先課題だが、国が直面する課題を反映した目標を伴った、より詳細な中期的計画も必要である。当局は、10年後を目処に債務比率の引き下げを行うとした、重要な措置の実施を掲げている。しかし、税制改革をさらに進めるなど調整を早め、10年後ではなくその半ばを目処に、債務比率の引き下げを開始することが適切である。」

 日本政府は2015年度までに基礎的財政収支(プライマリー・バランス)の赤字幅を半減し、20年度までに黒字化するとの目標を掲げているが、たとえ消費税が10%に引き上げられたとしても、この目標を達成することはすでに困難な状況にある。

 現在、日本の長期金利の水準や国債の消化状況を見る限りにおいて、日本国債に対する信用は揺ぎ無いものとなっている。しかし、何かしらのきっかけでその信用が崩れ去る可能性が存在する。日本に対する信用を今後も強固なものにさせ続けるためには、何をすべきであるのかを、特に日本の政治を担う者は常に認識しておく必要があろう。


*** 「牛さん熊さんの本日の債券」メルマガ配信のお知らせ ***

「牛さん熊さんの本日の債券」をメルマガで配信しております。

毎営業日の朝と夕方にその日の債券市場の予想と市場の動向を会話形式でわかりやすく解説しています。
10年以上も続くコンテンツで、金融市場動向が、さっと読んでわかるとの評判をいただいております。
昼には、コラムも1本配信しています。
毎営業日3本届いて、価格は税込で月額1050円です。
登録申込当月分の1か月は無料でお読み頂けます。
ご登録はこちらからお願いいたします。

http://www.mag2.com/m/0001185491.html
[PR]
by nihonkokusai | 2011-09-30 19:37 | 国債 | Comments(1)

牛熊ゼミナール金融の歴史第3回 金利の起源

 世界史の中での金利の起源は、古代文明発祥の地の1つとされているメソポタミアにあったと言われています。この時代、すでに寺院や土地所有者による利子付きの貸し出しが行われていました。そもそもの利子の起源は、農業が始まった頃の「種籾(たねもみ)」の貸し借りによるものとされています。農民に対し神殿などが蓄えた種籾を貸し出し、それを借りた農民は借りた籾の量に3割程度上乗せして神殿に納めていました。これが利子の始まりとされているのです。

 メソポタミアのバビロンの商人は遠方との交易を活発に行なっており、バビロンの金持ちは妻子や財産を担保にとって、商売の資金を貸しつけていました。たとえばバビロンのエジビ家では他人から預金を受け入れて、それを使うのではなく、自己の資金から貸付を行っていたとの記録もあります。さらにメソポタミア文明の象徴とされるハムラビ法典では、銀の貸付利率の上限を20%と定め、借り手に銀のないときは銀対穀物の交換レートにしたがって、穀物で支払うことが出来ると記されています。さらに、古代バビロンでは、すでに複利による利子の計算が行われていました。

 ギリシア期にはアリストテレスが「憎んで最も当然なのは高利貸しである」と言ったように、商品を媒介せずに利子をとる貨幣の貸し付けを批判していました。すでにギリシアでは安全な保管を目的に、貨幣と地金の預託を受け入れ、契約により決まった一定の利息を支払うという個人商人が生まれていたのです。

 アリストテレスのように哲学者の多くが利子に対して批判的な見方をしていたのに対し、ソクラテスの弟子であるクセノフォンは、すべてのアテネ市民が利息収入を共有できる安全保管機関を設立しようとするなど利子に関しては好意的に見ていたものと思われます。 

 ちなみに「economy」という英語の語源であるギリシヤ語「オイコノミア」は、このクセノフォンが用いたものです。「オイコノミア」とは、「家」を意味するギリシア語の「oikos」と、「法律・法則」を意味する「nomos」が合成されたものです。

 旧約聖書では、「貧者」と「同胞」への利子は禁じていますが、お金を貸すことや利子を取ること自体は禁じられてはいません。しかし、利子を取ることは、ギリシアの哲学者たちと同様に、あまり好意的には取られていませんでした。新約聖書の中では、イルサレムの神殿には、そこを訪れる商人のために貨幣を両替し、預けられたいかなる貨幣にも利息を支払う両替商人がいたとの記述があります。 

 イスラム教では利子を取ることそのものが禁じられており、このためイスラム金融では利子ではなく、商品取引などから生じる利益や投資を行った結果の配当といった形態が採られています。

 共和制および帝政ローマ時代にはすでに両替商がおり、国家や貴族のための税金の処理や、債権者との貸借勘定の決済などを行っていました。貨幣を扱う商人は、預けられた貨幣に対して利子を支払い、両替にも従事していました。


*** 「牛さん熊さんの本日の債券」メルマガ配信のお知らせ ***

「牛さん熊さんの本日の債券」をメルマガで配信しております。

毎営業日の朝と夕方にその日の債券市場の予想と市場の動向を会話形式でわかりやすく解説しています。
10年以上も続くコンテンツで、金融市場動向が、さっと読んでわかるとの評判をいただいております。
昼には、コラムも1本配信しています。
毎営業日3本届いて、価格は税込で月額1050円です。
登録申込当月分の1か月は無料でお読み頂けます。
ご登録はこちらからお願いいたします。

http://www.mag2.com/m/0001185491.html
[PR]
by nihonkokusai | 2011-09-29 15:58 | 金融の歴史 | Comments(0)

ねじれの問題

 9月21日のFOMCで、残存期間6~30年の財務省証券4000億ドルを買い入れ、残存期間3年以下の財務省証券を同額売却するというプログラムを決定した。これは1961年のケネディ政権下で、ドル防衛のため短期資本を流入させることを目的として短期金利の上昇を促すとともに、設備投資促進などによる景気対策としての長期金利低下の両方の効果を促すため行なわれたことがあるツイスト・オペもしくは、オペレーション・ツイストと同様の手段である。

 ただし、ニューヨーク連銀はステートメントでこのオペレーションを「Operation Twist」ではなく、「Maturity Extension Program」と呼称した。つまりFEDの保有する財務省証券の残存期間を延長させるプログラムということである。

 これは1961年のプログラムとは、目的等がやや異なることもあろうが、そもそも「ツイスト」という言葉がすでに死語に近いものであるため、使うことを避けたのではないかと想像される。

 1961年のケネディ政権下で実施されたツイスト・オペのツイストとは、当時流行していた上半身と下半身を逆にねじるツイスト・ダンスが名前の由来といわれている。我々世代には、ツイスター・ゲームなどでツイストと言う言葉に馴染みはあったが、現在はほとんど使われていない。現在、ツイストと同様の意味で使われている日本語は「ねじれ」であろうか。

 「ねじれ」という言葉でまず連想されるのは「ねじれ国会」であろう。現在、衆議院で与党が過半数の議席を持つ一方で、参議院では野党が過半数の議席を維持するという状態となり、ねじれが生じている。これにより、政権運営が滞るといった弊害も生じている。2011年度の公債特例法案が8月26日になってやっと可決成立するなどしたことも、ねじれ国会の弊害といえよう。

 「ねじれ国会」は米国も同様であり、下院では共和党が過半数を握り、上院は民主党が過半数を上回っていることで、日本と同様のねじれ状態となっている。これにより債務上限引き上げ問題が生じることになった。

 そして、現在、最大の関心をもたれている「ねじれ」は欧州であろう。債務問題を抱えたギリシャなどの南欧諸国と、それを救済する立場にあるドイツやフランスとの間に溝が発生し、ユーロそのもののシステムがねじれ状態となっている。

 ツイスト・ダンスがどれだけ健康に良いのかはわからない。また、FEDのツイスト・オペがどれだけ有効な政策であるのかは定かではないが、多少なりとも効果はあると判断した結果ではあろう。ただし、ツイストした状態にある国会や欧州などは、あまり良い状況にあるとは思えない。

 特に欧州のねじれ問題は、世界の金融経済に大きな影響を与えかねない。すでにリーマン・ショック以上の影響が出る可能性も指摘されている。そのキーとなっているのがドイツであろうか、ドイツ国内でも政府と国民の意識の間で、ねじれが生じつつあり、なかなか動きが取りづらい状況にある。

 ねじれを解消するのはかなりやっかいではあるが、ねじれが強まればそのままプツンと切れてしまう可能性もある。そうなれば、非常に大きなショックが生じる可能性があるため、ねじれ状態を少しでも解消すべく、特に欧州では地道な努力が求められよう。


*** 「牛さん熊さんの本日の債券」メルマガ配信のお知らせ ***

「牛さん熊さんの本日の債券」をメルマガで配信しております。

毎営業日の朝と夕方にその日の債券市場の予想と市場の動向を会話形式でわかりやすく解説しています。
10年以上も続くコンテンツで、金融市場動向が、さっと読んでわかるとの評判をいただいております。
昼には、コラムも1本配信しています。
毎営業日3本届いて、価格は税込で月額1050円です。
登録申込当月分の1か月は無料でお読み頂けます。
ご登録はこちらからお願いいたします。

http://www.mag2.com/m/0001185491.html
[PR]
by nihonkokusai | 2011-09-29 08:34 | 国際情勢 | Comments(0)

牛熊ゼミナール金融の歴史第2回 古代のギリシャ・ローマ・中国の貨幣制度

 紀元前6世紀頃のギリシア期において、貨幣使用を中心とした貨幣経済化が進みました。世界で始めて鋳造貨幣を造ったリディア人によりギリシアに貨幣がもたらされ、各ポリス、地域ごとに貨幣が発行されました。貨幣制度の普及により、商業が盛んになり商業に従事する富裕な平民もあらわれたのです。

 さらに紀元前4世紀に行なわれたアレキサンダー大王の遠征により、東西交易が活発化し、遠征によりペルシアの金銀が大量に持ち込まれたことで貨幣が増加するとともに、ギリシアの貨幣が中央アジアやインドにも伝わったのです。

 ローマでは、ローマ最古の成文法と言われる十二表法(BC450年)に罰金などが銅の重量単位で表されていましたが、鋳造貨幣が作られたのは紀元前3世紀頃と言われています。紀元前46年頃にカエサルのもとで行なわれた鋳造策などによって、貨幣体制は整ってきました。

 ローマの初代皇帝となったアウグストゥスは、紀元前23年にマエケナスに命じて通貨制度改革を実施し、ローマでの貨幣体系が確立しました。1アウレリウス金貨と25デナリウス銀貨、そして100セスティルティウス銅貨マエケナスの価値を同じものに固定しました。アウグストゥスは金貨、銀貨の発行権は独占しリヨンで発行されたものの、銅貨については元老院に発行権を残しローマで鋳造されてきました。

 これ以降、デナリウス銀貨は次第に地中海世界に広く流通いるようになりました。ローマの金貨がインドに流出するようになり、またシルクロードを使った東西交易が行われたことで、ローマの貨幣は現在の中東からアジアでも発見されています。

 ローマ帝国の収入は主に属州からの税でしたが、それだけでは巨大な軍事費や貿易に関わる費用などは補いきれず、不足分はスペインの銀山から産出される銀に頼っていました。3世紀ころから、皇帝たちの争いで国が乱れ、軍事費の増大などの支出が拡大し、さらにスペインの銀山の産出量が減少しインフレが進行しました。しかし、3世紀後半になるとむしろ金利の低下現象が起きており、インフレというより当時の主力産業である農業への年意欲の減速でデフレが進行していたのではないかと塩野七生氏は「ローマ人の物語」で指摘しています。

 カラカラ帝はデナリウス銀貨2枚に相当する新しい銀貨を発行しましたが、これがカラカラの本名にちなんでのアントニニアヌス銀貨と呼ばれているものです。この銀貨の銀の割合はすでに50%程度に低下していましたが、それからさらに半世紀以上経過した際には5%以下になっていました。四分割統治で名高いディオクレティアヌス帝は、通貨の改革を行い、通貨の安定を図る目的で301年に1000品目以上の物品やサービスについて最高価格令を発布しました。

 4世紀にはローマにおいてソリドス金貨、シリカ銀貨、フォリス銅貨などが発行されましたが、銅貨は次第に小さくなり、1グラムを切るものまで出てきました。312年にコンスタンティヌス大帝が発行したソリドス金貨は長い期間に渡り高い純度を維持し、その後11世紀末まで東地中海世界の標準貨幣として使われました。ノミスマとも称されたソリドス金貨は中世のドルとも呼ばれているように当時の基軸通貨となっていました。また、中世フランスや南米などで使われた通貨ソル(Sol)、中世イタリアで使われたソルド(soldo)、中世スペインで使われたスエルド(sueldo)などはこのソリドス由来するとされ、ドルのマークが$であるのも、ソリドス(Solidu)にあやかろうとしたものとも言われています。

 395年、ローマ帝国は東西に分裂、これ以降再び統一されることがなく、476年には西ローマ帝国が滅亡しました。11世紀になると東ローマ帝国は異民族との争いに加え内乱が続発し、封建化の進行などによって皇帝領が減少し国庫が困窮化しました。このため、金貨の品質を低下せざるをえなくなり、90%以上の純度のあったソリドス金貨は、1080年あたりになると30%程度に純度が低下し、1092年についに発行されなくなったのです。

 中国の最初の鋳造貨幣は、春秋戦国時代に作られた貝貨のような形をした蟻鼻銭(ぎびせん)と言われています。その後、中国では現在日本で使われている五円硬貨や五十円硬貨のように円の中央に丸い穴があいている円形円孔貨や、中央に四角い穴があいている円形方孔貨などが使われました。

 これらの貨幣は中国各地でバラバラに使われていましたが、紀元前221年に中国を統一した秦の始皇帝は、秦で用いられていた環銭の形に銭貨を統一し、すでに発行されていた「半両銭(はんりょうせん)」という円形方孔貨に統一されることになりました。この秦の半両銭には半両という漢字が刻まれていますが、ちなみに半両の両とは重さの単位です。

 ただし、実際に中国で「半両銭」による貨幣統一が実現したのは、秦王朝の滅亡後の漢王朝になってからでした。つまり楚の項羽との覇権争いに勝利した高祖・劉邦に引き継がれたのです。漢王朝は貨幣の鋳造を民間に委ね、「半両銭」への貨幣統一を実現しました。これには民間の銅製武器を銭に変えるという効果もあったようです。 118年に前漢の武帝は、半両銭に変る「五銖銭」を発行しました。この「五銖銭」はその後、唐で641年に「開元通宝」が登場するまで、約700年余りにわたり通用し、中国史上最も長期にわたり流通した貨幣と言われています。

 そして618年に建国された唐の時代に鋳造・発行されたのが「開元通宝」です。10銭が24銖、1両と同じ価値とされ、これ以降、貨幣の名称は重さではないものが刻まれてゆきました。「開元通宝」も唐の時代を通じて約300年間鋳造されました。「開元通宝」は日本の「和同開珎」のモデルとも言われ、日本を含めた東アジアに影響を与えました。

 このように。古代において「ソリドス金貨」や「五銖銭」、「開元通宝」などの通貨が数百年にわたり使われていたことはたいへん興味深い事実です。何故、これらの通貨は数百年にわたって信用を得ていたのでしょうか。2007年以降の世界の金融危機を見ても、信用が崩れさるのはあっと言う間であり、その信用を長きにわたり維持させることは並大抵のことではありません。信用維持のための対策としては、もっと昔に目を向けてみると、あらたな発見があるかもしれません。


*** 「牛さん熊さんの本日の債券」メルマガ配信のお知らせ ***

「牛さん熊さんの本日の債券」をメルマガで配信しております。

毎営業日の朝と夕方にその日の債券市場の予想と市場の動向を会話形式でわかりやすく解説しています。
10年以上も続くコンテンツで、金融市場動向が、さっと読んでわかるとの評判をいただいております。
昼には、コラムも1本配信しています。
毎営業日3本届いて、価格は税込で月額1050円です。
登録申込当月分の1か月は無料でお読み頂けます。
ご登録はこちらからお願いいたします。

http://www.mag2.com/m/0001185491.html
[PR]
by nihonkokusai | 2011-09-28 14:48 | 金融の歴史 | Comments(0)

投資家の公社債売買高が急増

 9月27日の日経新聞に、「公社債売買高 初の100兆円超」との記事があった。この内容をあらためて検証してみたい。

 この記事によると国債を中心とする公社債の売買高が、8月に初めて100兆円を超えたとある。この数値は日本証券業界が発表している公社債投資家別売買高が元になっており、このうち債券ディーラー・短期証券を除いたものである。

 つまり、毎月20日に発表されている月間の公社債投資家別売買高から、短期証券の売買と、債券ディーラーの分も除いた、いわゆる投資家による国債を中心とした公社債の売買高が100兆円を超えたということになる。

 この公社債投資家別売買高のデータは1998年1月からの数字がアップされており、過去の数値を検証してみると、確かにこれまで投資家だけで公社債売買高が100兆円を超えた月はなかった。

 1998年から毎年の月間平均の投資家の公社債売買高を算出してみたところ、1998年1月から12月の平均は36兆円程度であったものが、徐々に増加し2002年に55兆円程度、2006年に63兆円程度、そして2010年に71兆円程度に増加した。

 そして2011年に入り、4月あたりから売買高が急増し1月が56兆円規模であったものが、4月に83兆円程度、そして6月に94兆円程度まで膨らみ、7月は80兆円程度に落ちたが、8月に101兆9034億円と統計上、過去最高を記録したのである。

 投資家別にみると2011年8月に月間売買高が1998年の統計開始以来最高となっていたのが、都市銀行、地方銀行の売買高であった。特に都市銀行は8月に40兆円を超す売買高となり、全体の売買高の増加に大きく寄与している。

 海外投資家については8月は14兆円程度と2007年8月に記録した過去最高の26兆円規模に比べてむしろ見劣りしており、海外投資家が積極的に売買を行なっていたわけではなさそうである。

 8月は債券相場のレンジそのものは大きくはなかったものの、日々の変動幅はそれなりにあったことで、都市銀行を中心に入れ替え等の売買を積極的に行なっていた可能性がある。

 9月は中間決算期末要因もあり、多少、売買高は減少する可能性はある。しかし、今後も欧州の債務不安は燻り続けており、また、世界的な景気減速懸念などもあり、日本の債券市場は当面高値圏でのもみ合いが予想される。このため、ふき値売りと押し目買いが繰り返されることで投資家の売買高は高水準を維持すると予想される。


*** 「牛さん熊さんの本日の債券」メルマガ配信のお知らせ ***

「牛さん熊さんの本日の債券」をメルマガで配信しております。

毎営業日の朝と夕方にその日の債券市場の予想と市場の動向を会話形式でわかりやすく解説しています。
10年以上も続くコンテンツで、金融市場動向が、さっと読んでわかるとの評判をいただいております。
昼には、コラムも1本配信しています。
毎営業日3本届いて、価格は税込で月額1050円です。
登録申込当月分の1か月は無料でお読み頂けます。
ご登録はこちらからお願いいたします。

http://www.mag2.com/m/0001185491.html
[PR]
by nihonkokusai | 2011-09-28 08:29 | 国債 | Comments(1)

牛熊ゼミナール・金融の歴史第1回 「物品貨幣から鋳造貨幣へ」

 原始時代を描いたマンガなどに出てきたお金といえば石でした。古代においては、石も実際に使われていました。また、古代中国やインドではお金として「貝」が使われていたことが知られています。ほかの国では「骨」や、「家畜」、「毛皮」、「穀物」、「塩」などが貨幣として使われていました。 古代にお金として使われていたものは、共同生活において利用価値が高いことや、貴重なもの、さらに保存がきくといったものが選ばれていました。これらは「物品貨幣」とも呼ばれています。

 文献などに残っている世界最古の貨幣は、古代中国の殷王朝(紀元前1600~1046年)で貨幣として使われた「子安貝」と言われています。「子安貝(タカラガイ)」は、当時たいへん貴重な貝の種類でした。貝という漢字も、タカラガイのなかの「キイロダカラガイ」という種類の形から生まれた象形文字です。このキイロダカラガイやハラビラダカラガイが古代中国の殷王朝で「貝貨」として使われていたのです。貨幣とか経済に関しての漢字には、「買」「財」「貴」「賓」といったように貝のつくものが多いのも、古代中国で貨幣として使われていたことに由来すると思われます。

 貝殻のように保存がきくということが、「お金」の重要な機能のひとつとなっています。保存が効くということは、価値を貯蔵することが可能となります。その後、お金の役割をしていた貝は、やがて自然のものから貝を真似て作られた銅製品に変化しました。銅や銀は貝などに比べて耐久性が優れている上に、運搬性にも優れているため、次第に金属が貨幣素材に利用されるようになったのです。

 その後、商工業などの発達に加え、銅や銀の産出や加工といった技術の向上により、金属貨幣が幅広く使われ始めました。メソポタミアでは銀を貨幣の代わりとしたとの記録が残っています。

 金や銀、銅などの貴金属金属は腐ったりすることがなく耐久性があり、他の金属を加えることで硬くなり、また分割したり足し合わせたりすることが比較的簡単にできます。さらに少量でも交換価値が高いことで持ち運びにも便利です。

 しかし、「お金」という言葉に含まれている価値の高い「金(きん)」の場合は、王家など支配者の政治的権威を示す装飾品として利用される傾向が強く、昔は貨幣素材に使われることは案外と少なかったそうです。

 当初使われた金属貨幣は貴金属の固まりや砂金といった計量を計って用いられたことで、「秤量貨幣」と呼ばれました。ただし秤量貨幣は、その品質を調べ、重さを量る必要があるなど不便な面がありました。そのため大きさや重さ、さらに混合物の量がきちんと決められたお金である「鋳造貨幣」が造られるようになったのです。

 鋳造貨幣は秤量貨幣と異なり、重さによって価値が決められるのでなく、個数によって価値が決められる貨幣です。それゆえに個数貨幣、又は計数貨幣とも呼ばれています。鋳造とは鋳型に融かした金属を流し込んで製造ことで、量産がしやすく複雑な形状のものでも作る事が可能となります。こうして現在、使われているコインの原型が生まれたのです。 世界における最初の鋳造貨幣は、紀元前7世紀ごろに現在のトルコ西部に位置するリディアで発行されたエレクトロン貨とされています。

 この素材となったのはエレクトラムと呼ばれた金銀の天然合金です。自然の中で採掘される金にはいくらかの銀などが混ざっていますが、その中でも銀の含有量が20%を越えるものをエレクトラムと呼んでいます。これは普通の金と明確に区別されて「琥珀金」とも呼ばれていますが、その色彩や輝きといったものが琥珀に似ていたためです。

 琥珀を意味するギリシア語の「エレクトロン」は半透明で黄金色のコハクが太陽(エレクトル)を連想させることから命名されました。こうしてこのエレクトロン貨は、金塊に人物や動物の絵を打刻してつくられ、この様式がギリシアやローマ以降の西洋式貨幣の基礎となりました。

 琥珀といえば、古代の琥珀の中の蚊から恐竜のDNAを抽出して恐竜を復活させるという映画「ジュラシック・パーク」を思い浮かべる方もいるかもしれません。琥珀は古代の樹脂が地中で化石化したものです。琥珀は布などでこすると静電気が発生することで、16世紀イギリスの科学者で電気を発見したギルバートは、この琥珀の性質にちなんで電気をエレクトロニクスと名づけました。

 お金の歴史から少し話題が逸れてしまったかに見えますが、実は現在のお金はその交換機能や保管機能がこのエレクトロニクスによってさらに発展し、現金通貨から電子マネーへと姿を変えつつあるのが、現在の「お金」の姿でもあるのです。


*** 「牛さん熊さんの本日の債券」メルマガ配信のお知らせ ***

「牛さん熊さんの本日の債券」をメルマガで配信しております。

毎営業日の朝と夕方にその日の債券市場の予想と市場の動向を会話形式でわかりやすく解説しています。
10年以上も続くコンテンツで、金融市場動向が、さっと読んでわかるとの評判をいただいております。
昼には、コラムも1本配信しています。
毎営業日3本届いて、価格は税込で月額1050円です。
登録申込当月分の1か月は無料でお読み頂けます。
ご登録はこちらからお願いいたします。

http://www.mag2.com/m/0001185491.html
[PR]
by nihonkokusai | 2011-09-27 18:05 | 金融の歴史 | Comments(0)

復興債発行にかかわる国債増発の行方

 24日付けの日経新聞によると、政府は東日本大震災からの復興資金を調達するために発行される復興債(国債)について、原則として2022年度末までに償還を迎える仕組みにする方向で検討に入ったそうである。

 この復興債はこれまでに発行された国債との発行根拠法が異なるものとなる。つまり60年償還ルールが適用される建設国債や赤字国債とは異なり、11年程度で調達資金を完済する枠組みとなるようである。

 現在の国債発行の方式では、特に建設国債や赤字国債、そして借換債、財投債は別々に発行されているのではなく、毎月の入札に絡んでそれぞれ各年限に振り分けられている。

 たとえば9月に発行された10年国債は、財政法(昭和22年法律第34号)第4条第1項及び平成23年度における公債の発行の特例に関する法律(平成23年法律第106号)第2条第1項並びに特別会計に関する法律(平成19年法律第23号)第62条第1項が発行根拠法として記載されている(財務省のサイトより)。

 つまり、これは財政法により発行される建設国債、特例により発行される赤字国債、そして特別会計に関する法律によって発行される財投債となる。それぞれの発行金額は財務内で管理され、トータルとして発行根拠法別に年度の発行額に合うようになっている。

 つまり、復興債という国債についても、11年満期の国債が新たに発行されるわけではなく、最終的に11年程度で償還されるように振り分けられる。これは裏を返せばその分は11年以上の期間の国債、つまり20年債や30年債といった超長期債では発行されないということになろう。

 復興債の発行額については、今後本格的な審議が行なわれる第3次補正予算の規模などによるが、10.5兆円規模ではないかとの観測が出ている。

 復興債の発行ではあらかじめ設けている約8兆円の国債の追加発行枠の一部を使う方針と伝えており、今年度分としてすでに発行されている前倒し債の調整分として計上している8兆3893億円の一部を充てることになる。この前倒し債には、出納整理期間中に発行を予定していた2兆円の発行を税収の上振れ等によりとりやめたことで、さらに2兆円分含まれることもあり、その分もバッファーとなる。この分、国債の市中消化額の規模を抑えることが可能になる。

 ただし、上記の部分は来年度以降の国債発行のためのバッファーとして生かす必要もあり、全額を今回使い切ることはできない。しかし、これとは別に第2非価格競争入札の年度計画に対する上振れ分などもあることで、市中消化についてはかなり抑えられる見込みである。市場が今年度の中で、どの程度の増発が許容できるのかも探りながら、復興債の発行に係わる増発額が今後、決められていくものと予想される。

 この増発額については、それほど大きなものにならないと予想され(数兆円規模か)、さらにそれによる増発は中短期債主体になるのではないかとの観測も出ている。日銀による包括緩和政策は当分続けられることが予想されることもあり、中短期ゾーンには発行余力は十分にあるとみられ、ある程度の国債増発があってもその消化には問題はないと思われる。

 当面は復興債に係わる増発観測で中期債の上値が抑えられる可能性はあるものの、今後の国債需給に対しての影響はそれほど大きくはないと予想される。


*** 「牛さん熊さんの本日の債券」メルマガ配信のお知らせ ***

「牛さん熊さんの本日の債券」をメルマガで配信しております。

毎営業日の朝と夕方にその日の債券市場の予想と市場の動向を会話形式でわかりやすく解説しています。
10年以上も続くコンテンツで、金融市場動向が、さっと読んでわかるとの評判をいただいております。
昼には、コラムも1本配信しています。
毎営業日3本届いて、価格は税込で月額1050円です。
登録申込当月分の1か月は無料でお読み頂けます。
ご登録はこちらからお願いいたします。

http://www.mag2.com/m/0001185491.html
[PR]
by nihonkokusai | 2011-09-27 08:23 | 国債 | Comments(0)

ツイスト・オペの効果は一時的か

 9月21日のFOMCでは、残存期間6~30年の財務省証券4000億ドルを買い入れ、残存期間3年以下の財務省証券を同額売却するというプログラムを決定した。これは1961年のケネディ政権下で、ドル防衛のため短期資本を流入させることを目的として短期金利の上昇を促すとともに、設備投資促進などによる景気対策としての長期金利低下の両方の効果を促すため行なわれたことがあるツイスト・オペもしくは、オペレーション・ツイストと同様の手段である。

 ただし、今回のFRBによるツイスト・オペの主たる目的は、ドル防衛はさておき、より長期の金利に下向きの圧力を加えることにある。今回、住宅ローン市場の状況を支援するため、エージェンシー債(政府機関債)とエージェンシー発行モーゲージ債(MBS)の元本償還資金をエージェンシー発行MBSに再投資することも決定したが、これは住宅市場への梃入れでもあり、ツイスト・オペも同様の効果を期待してのものであろう。

 この決定が発表されたあと米債は長い残存期間のものが買い進まれ、米10年債利回りは1.86%近辺に低下し、30年債はさらに買われて3%割れとなった。市場では4000億ドルという予想を上回る金額にも反応した面がある。

 しかし、すでに米国の長期金利は過去最低水準近くにあり、ここからさらに低下したとしても金利の下げ余地は限られている。ただし、FRBは今回のFOMCでも、現在の経済環境が続けば、少なくとも2013年半ばまで、FF金利を異例の低水準とすることが正当化される可能性が高いとの予想を声明文に出しており、米国の金利環境は当面維持されることが見込まれる。

 果たして今回のツイスト・オペはどの程度の効果があるのか。1999年2月に日銀の決定会合で、ツイスト・オペの効果について「ツイスト・オペは効かないというのが過去のいろいろなデータから平均的に出ている結果のような気がする」(植田審議委員、当時)、「長期金利にはやはり様々なエクスペクテーションが全て流れ込んでくる訳であるし、それを金融政策にとって都合の良い方向に誘導していくことは極く短期にはともなく、サスティナブルなベースでは出来ないのではないか」(山口泰副総裁、当時)との発言もあった。

 当然、FRBも過去のツイスト・オペについては検証済みであろう。それでも今回、ツイスト・オペの実施を決めたのはほかに有効な手立てがなかったためというのが本音ではなかろうか。アナウンスメント効果も意識したと思われるが、21日、22日の株式市場はむしろ急落しており、これを見る限り裏目に出た可能性がある。

 前回に引き続き今回もダラス連銀のフィッシャー総裁、フィラデルフィア連銀のプロッサー総裁、ミネアポリス連銀のコチャラコタ総裁の3人が反対票を投じている。フィッシャー総裁は9月12日の講演後に、米経済が直面する問題があまりにも大きいため、その対応をめぐる当局者の意見は今後も分かれ、反対票が増えるとの見方を示したが、今回、反対票が増えることはなかった。

 中央銀行による国債買入などの非伝統的政策による望ましくない可能性として、「金融緩和が過度のリスクテイクや過剰な設備投資を促すことで、中長期的に景気の振幅を拡大したり、無規律な金融緩和が予期せぬタイミングで通貨に対する信認を喪失させたり金利高騰を招くという懸念」もある(宮尾日銀審議委員)。

 そのあたりのリスクにも配慮すれば、非伝統的政策への踏み込みも慎重さが求められる。そんな悠長なことを言っていられる経済環境ではないとの声もあろうが、中央銀行の金融政策はあくまで側面支援であることを認識しておく必要もあろう。


*** 「牛さん熊さんの本日の債券」メルマガ配信のお知らせ ***

「牛さん熊さんの本日の債券」をメルマガで配信しております。

毎営業日の朝と夕方にその日の債券市場の予想と市場の動向を会話形式でわかりやすく解説しています。
10年以上も続くコンテンツで、金融市場動向が、さっと読んでわかるとの評判をいただいております。
昼には、コラムも1本配信しています。
毎営業日3本届いて、価格は税込で月額1050円です。
登録申込当月分の1か月は無料でお読み頂けます。
ご登録はこちらからお願いいたします。

http://www.mag2.com/m/0001185491.html
[PR]
by nihonkokusai | 2011-09-23 08:45 | 日銀 | Comments(0)

歴史で振り返る中央銀行と国債との関係

 世界史の中において、国債と中央銀行の誕生には大きな関係がある。16世紀に現在のオランダで国債の発行制度が形成された。オランダのハプスブルグ家のカール五世はフランスとの戦争のために巨額の資金が必要となり、領地であったネーデルランド連邦ホラント州の議会に元利金の返済のための税収を与え、その議会への信用を元にして国債の発行制度を確立したのである。

 1688年、カトリック国教化をはかるジェームズ二世の専制に対し、イギリス議会はオランダからオレンジ公ウィリアム三世を招請した。オランダ軍を率いてイギリスに上陸したウィリアム三世はジェームズ二世をフランスに追放し、妻メアリ二世とともに王位についた。いわゆる名誉革命である。これにより、権利章典が定められ、立憲君主制の基礎が確立された。

 ウィリアム三世はイギリスに渡る際にオランダの最先端の金融知識を有する金融業者を連れてきたことにより、英国で金融改革が進むこととなった。名誉革命により予算に関する議会の干渉と統制が強化された。そして、課税や法制定には議会の承認が必要であると決めた。フランスとの戦争の費用調達に苦慮していた当時の政府は特定の税を担保とする借入、つまり国債発行を承認することとなり、1692年に国債発行に関する法律が議会を通過した。これにより法律に基づいて議会の保証が付与された国民の債務であるところの国債が発行されたのである。これにより、現在の国債制度が誕生したと言える。

 そして、1694年にフランスとの戦争の費用調達に苦慮していた当時の政権を財政的に支援するため、民間から出資を募りその全額を国庫に貸し上げる代償として、出資者たちが設立したのがイングランド銀行である。

 当初、イギリスの国債の保有者はごく一握りの特権会社に限られていた。イングランド銀行は、特権会社である東インド会社や南海会社がイギリスにおける国債の保有者となり、政府を支援した。しかし、その後の南海バブルの崩壊によって、この図式が崩れ、幅広い投資家を対象とした体制への変化が求められた。このため本格的な国の予算管理なども整えられ、さらなる国債の流動性の確保などが進められていった。

 このように欧州での中央銀行制度と国債制度の成立は大きな関わりがあった。しかし、その後の歴史を経て、中央銀行による国債の直接引受けは禁止されることになる。これは第一次世界大戦後のドイツ、太平洋戦争後の日本などがその教訓を生かして、法律で中央銀行による国債の直接引受けを禁止するようになったのである。

 しかし、日本のバブル崩壊、そして2008年のリーマン・ショック、さらに2010年のギリシャ・ショックを経て、日米欧の中央銀行は再び国債の買取機関のような状態となってきている。

 日銀は現在毎月1.8兆円の国債買入と包括緩和策による国債買入を行い、イングランド銀行は2009年3月5日の金融政策委員会において量的緩和策として英国債の買い入れを行なった。ECBも2010年5月に国債の流通市場に介入することを発表し国債買入を実施した。一時、中断されていたが今年8月からイタリアなどの国債の買い入れを再開している。そして、FRBは2010年11月に2011年6月末まで米国債を6000億ドル追加購入するという、いわゆるQE2を行なった。そして、21日に6~30年国債を買い入れ、償還期限が3年以下の国債を同額売却するというツイスト・オペの実施を決定した。

 ただし、中央銀行による国債買入に対してはECB内ではドイツ出身者などから反対の声が上がり、また米国FOMCメンバーもQE3導入については賛同者は小数派とみられている。イングランド銀行でも量的緩和拡大を主張しているのは現在のところポーゼン委員だけとみられている。

 中央銀行と国債の関係は、その設立過程から関わりを持っていたが、中央銀行が国債との関わりを強めれば強めるほど、過去の歴史を振り返っても、その弊害が生じる恐れがある。

 ここにきて中銀関係者がさらなる国債買入に躊躇し始めているのも、その教訓が頭にあるためであろう。しかし、それに対して日米欧ともに財政が逼迫して動けないという事情も抱えるため、中央銀行頼りの姿勢が強まっていることも確かである。

 現在の日米欧の中央銀行と国債の関わりが、今後の歴史にどのような影響を与えてくるのかは定かではない。しかし、歴史を振り返る限り、このまま中央銀行への国債の依存度が高まるようなことになれば、悲劇が繰り返される可能性はないとは言えまい。


*** 「牛さん熊さんの本日の債券」メルマガ配信のお知らせ ***

「牛さん熊さんの本日の債券」をメルマガで配信しております。

毎営業日の朝と夕方にその日の債券市場の予想と市場の動向を会話形式でわかりやすく解説しています。
10年以上も続くコンテンツで、金融市場動向が、さっと読んでわかるとの評判をいただいております。
昼には、コラムも1本配信しています。
毎営業日3本届いて、価格は税込で月額1050円です。
登録申込当月分の1か月は無料でお読み頂けます。
ご登録はこちらからお願いいたします。

http://www.mag2.com/m/0001185491.html
[PR]
by nihonkokusai | 2011-09-22 13:25 | 国債 | Comments(0)
line

「債券ディーリングルーム」ブログ版


by nihonkokusai
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー