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2011年 10月 06日 ( 2 )

牛熊ゼミナール金融の歴史第6回 銀行の誕生

 日本では銀行と訳された英語の「Bank」の起源も、政府による本格的な債務が開始された12世紀の北イタリアにあるとされています。英語の「Bank」の語源は、欧州圏の貨幣供給が増加し交易が活発化する中、当時の世界の貿易・文化の中心地であった北イタリアに生まれた両替商が両替のために使用したイタリア語「BANCO」(長机、記帳台)に由来するとされています。

 ローマ・カトリック教会と連携した北イタリア商人は絹や香辛料貿易を活発に行っていました。十字軍に財政的な支援を行なった見返りに、十字軍の支配下に組み込まれた地中海東部全域における特権を得ていたのです。

 この遠隔地間の交易のための開発されたのが「為替手形」でした。あらたな信用供与手法が構築されたことなどから、12世紀から14世紀にかけての北イタリアに「銀行の起源」があるとの見方があります。

 12世紀のジェノバにはバンゲリウスという言葉が両替商を意味し、この両替商は預金を受け入れ、地元の事業主に貸付を行なっていました。また、13世紀のベネチアでは、バンコ・ディ・スクリッタと呼ばれる直訳すれば「書く銀行」、つまり帳簿上で決済を行なう振替銀行も誕生していました。

 為替手形の開発などによって、銀行業を介在とした財の生産、そして交易によって中世の西欧経済が発達しました。ヨーロッパ各地の物産が交換され、また国内外の負債が決済される場でもあった国際定期市が、交易商人兼銀行家が特に活躍する場となりました。そして、イタリア人は商人から銀行家へと転職し、その代中にはルネサンス期を代表する銀行家・政治家となったメディチ家などがありました。

銀行の起源としては、17世紀のイギリスに求められるとの説もあります。当時の金の細工商であったゴールドスミスは、ロンドンでも一番頑丈な金庫を持つとされました。金を手元に抱え込むリスクを懸念した金所有者は、この金庫を持つゴールドスミスに金を預けるようになったのです。

 ゴールドスミスは金を預かる際に、預り証を金所有者に渡し、この預り証(goldsmith note)が、現代の紙幣の起源との説があります。ゴールドスミスは、この金の預かりをしているうちに、預けられている金が常に一定量を維持していることに気が付き、預けられた金を運用するようになりました。こうして貸し出し運用が開始されたことで、これが銀行の始まりであるとの説があります。


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by nihonkokusai | 2011-10-06 14:49 | 金融の歴史 | Comments(0)

日本の長期金利は1990年の8%台から低下基調に

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 前回は日本の長期金利が2%を割り込んだ1997年の様子を見てきたが、それでは日本の長期金利はいつごろから低下を始めたのかを確認してみたい。

 1989年5月に日銀は公定歩合を3.25%に、さらに10月には3.75%に、12月には4.25%と引き上げ、完全に金融引締策へと転向した。それでも、バブルの勢いは年末まで続き、日経平均株価は、その年の大納会の大引けで3万8915円を付けた。結局、これがそれ以降20年以上にわたる株価の最高値となる。一方、債券相場は、公定歩合の度重なる引き上げによる短期金利の上昇で長短金利が逆転するという事態となっていた。

 1990年は債券安・株式安・円安のトリプル安でのスタートとなったが、米国金融緩和期待の後退、ソ連情勢の悪化、日銀による公定歩合の再引き上げ観測などが要因であった。日銀は3月20日に1.00%という大幅な公定歩合の引き上げを実施し、5.25%まで引き上げた。

 8月2日にイラク軍がクウェートに侵攻すると原油価格が急騰し、インフレ懸念が一段と高まった。その後、原油価格は下落したものの、物価上昇を意識してか、日銀は同月30日に公定歩合を0.50%引き上げ、年6.00%とした(第五次公定歩合の引き上げ)。これを受けて債券先物は急落し、9月27日には債券先物市場開設以来の安値となる87円8銭にまで下落した。長期金利もこの頃は8%台にあり、直近のピークをつけたのである。株価も大きく下落し、10月1日に日経平均株価は2万円を割り込んだ。

 バブルの波に乗り、民間消費や民間設備投資に主導された経済成長が持続したことで、申告所得税、源泉所得税、法人税、そして有価証券取引税などを中心に税収は伸び、この時期には、一般歳出は抑制され続け財政再建策が取られていたことで、財政状況は大きく改善した。1989年4月からは、所得税や法人税などの大規模な減税と引き換えに消費税が導入されたこともあり、この結果、1990年度には特例国債依存から脱却するまでになったのである。

 つまり、日本の長期金利が直近のピークにあった時点では、近年の中で、日本の財政状態は比較的健全な状態にあったといえる。

 1990年9月、債券先物は史上最安値で底入れし、米国の金融緩和政策への転換や、円高などを受けて上昇基調に転じた。長期金利もピークアウトし、これ以降、低下基調となるのである。1991年7月からの日銀による度重なる大幅な公定歩合の引き下げも(1992年7月までに3.25%に)、債券相場にとって好材料視された。

 1991年に入り、日銀は6月に短期金利の低め誘導を行い、7月1日には公定歩合を6.0%から5.5%に引き下げ、さらに11月14日、12月30日と続けて公定歩合を引き下げて4.5%としたが、これによる効果は限られた。

 1992年1月に地価税が導入され土地神話は完全に打ち砕かれた。3月末に公共事業の施行推進など緊急経済対策が決定し、公定歩合も3.75%に引き下げられ、7月にも0.5%の追加引き下げが実施された。8月には総合経済対策が策定され、公共事業投資の拡大などを主体とした事業規模は10.7兆円までに達した。

 1993年1月に大蔵省資金運用部が初めての国債買い入れを実施した。バブル崩壊後の景気回復が思わしくないなか、米国による内需拡大要請もあり、1993年4月に宮沢首相(当時)は事業規模13兆円の景気対策を実施したのであった。

 1991年からの度重なる景気対策に伴う公共債の増発によって、その後、国債市場では需給悪化懸念が広まり始めた。そして1994年1月、高値警戒感も強まっていたところに、大蔵省資金運用部が約11年ぶりに債券の売りオペを実施したことも手伝い、これによって、債券価格は一時大きく下落したのである。長期金利は1993年末に3%台半ばにあったが、1994年夏にいったん5%近くまで上昇した。


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by nihonkokusai | 2011-10-06 08:22 | 債券市場 | Comments(0)
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