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「失われた10年を振り返る(中編)」


 1998年2月7日から2月22日まで長野で冬季オリンピックが開催されたが、この2月に30兆円の公的資金枠を設けた金融システム安定化2法(改正預金保険法、金融機能安定化緊急措置法)が成立した。

 改正預金保険法では預金の全額保護のため預金保険機構に7兆円の国債を交付し、10兆円までの借り入れに政府保証をつける。

 金融機能安定化緊急措置法では、金融機関の自己資本増強のため13兆円の公的資金を注入、これには金融機関が健全化計画を作成し、優先株などの買い取りを申請し、それを預金保険機構が買い取ることで公的資金を注入する。そのため預金保険機構に3兆円の国債を交付する。10兆円までの借り入れに政府保証。しかし、銀行はこの申請を躊躇した結果、大手18行で合計1兆7456億円の注入に止まった。

 4月からは金融ビックバンがスタート。フリー、フェア、グローバルを3原則に、閉鎖的だった日本の金融市場の構造を改革することが目的。外国為替法が改定され、ドル建てやマルク建てなど資本取引や受け払いが自由化された。銀行や証券、保険など業態別に隔てていた壁が取り払われ、銀行の証券業への進出など、業態ごとの相互参入が可能になった。

 1998年6月に政府は大蔵省から民間金融機関等の検査・監督を分離し金融監督庁を設置して金融機関の経営監視を強化すること等で金融システムの安定化を図った

 しかし、大手金融機関に対しての不安はむしろ強まり、株式市場では長銀の株価がすでに額面を割り込み、経営危機に陥った、他の大手銀行株も軒並み下落した。長銀の破綻処理については、迷走に次ぐ迷走を重ねた。長銀行問題と大蔵省の財政・金融部門の分離問題の二点で与野党の協議は混迷し、野党は対案を提出した。 7月に橋本首相が参院選で自民党は惨敗したことから退陣し、小渕新内閣がスタートした。蔵相に宮沢喜一元首相、経企庁長官に民間から作家の堺屋太一氏が起用された。臨時国会において不良債権処理をめざす金融再生トータルプラン関連法案の審議が行なわれた。

 金融再生法案をめぐるこの臨時国会は金融国会とも呼ばれたが、結局は野党案に譲歩し、9月に長銀を金融再生法に基づく新たな破綻処理の仕組みである特別公的管理とすることで与野党が合意。10月に延長臨時国会で金融再生関連法、金融機能早期健全化法が成立。10月23日に施行された金融再生法に基づき同日、長銀の一時国有化が決定した。

 小渕新政権は、いきなり世界的な金融危機にも直面することになる。中国の通貨である元の切り下げ懸念などからアジアの通貨危機が発生し、それがロシアの通貨ルーブル切り下げの報道などに伴いロシアにも飛び火。中南米などのエマージング市場全体に金融危機が広がっていった。日本でも長銀問題などから金融システム不安も再び台頭し、世界同時株安が発生。

 日本国内の景気低迷については、ついに大手家電メーカーの日立が初の赤字となるなど深刻な状態に。半導体不況に加え、設備投資・個人消費の低迷も大きく影響した。しかし、日本の景気悪化の最大要因はやはり金融再生法案でもめた金融機関処理問題といえた。銀行の不良債権処理にさらに悪影響を与えているのがアジア市場ともなっていた。

 マレーシアは通貨を固定制にし、香港では株の空売りを禁止。このアジアの金融危機がロシアと中南米に飛び火。ルーブルを切り下げてもさらに混乱を加速させたロシアは8月に債務不履行を宣言した。ロシアの金融危機がユーロに影響を与え、またメキシコが大幅な金融引き締めをせざるを得なくなったように中南米へと影響が広がり、米国経済を直撃した。ニューヨークダウ平均株価は大きく下落した。

 さらにこのロシア危機を受けたヘッジ・ファンドが危機に陥り、LTCM(ロングターム・キャピタル・マネジメント)が破綻した。このLTCM破綻がさらなる金融システム不安へと転化することを恐れたグリーンスパンFRB(連邦準備理事会)議長は、直ちに欧米の金融機関に声をかけ、LTCMへの緊急融資を説得するとともに、積極的な金利引き下げも実施した。そしてこの機動的な金融緩和措置によって米国の金融システム不安はとりあえず払拭された。

 9月の日銀の金融政策決定会合において、無担保コールレートの誘導目標値を0.25%とする3年ぶりの金融緩和策が実施された。これは次のような理由によるものである。輸出企業だけでなく、海外に工場を持つ企業も世界的な金融システム不安に影響を受けやすくなっていた。さらにジャパン・プレミアムも再拡大した。設備投資や住宅投資が当初見込みを上回るスピードで落ち込んでいる上、雇用・所得環境の急速な悪化が最終需要をさらに一段と下押す危険性が出てきた。また金融システム問題を含めた厳しい構造調整局面にあり、これが日本経済の先行き不透明感を強めた。世界経済全体も構造調整が進んできており、日本も大手金融機関の破綻を見るまでもなく、構造調整が進むことは避けられない状況にもあった。また日本でデフレ・スパイラルが始まっているかどうかという問題も認識されていた。

 11月には、大手格付け機関ムーディーズ・インベスターズ・サービスは、日本政府が発行もしくは保証する円建て債券の格付け、及び日本国の外貨建て債務及び預貯金に対するカントリーシーリングを、それぞれAaaからAa1に引き下げた。しかし、ムーディーズの格下げによる国債市場への影響は軽微であった。これは、日本の国債を保有している海外投資家の割合が極端に少ないことなどが要因とみられた。しかし、11月末からあらたな問題が生じたことで国債相場が急落した。

 1998年11月20日の日経新聞に「大蔵省は1998年度の第3次補正予算で、新規発行する国債12兆5千億円のうち、10兆円以上を市中消化する方針」といった小さな記事が出ました。これは今後、国債を大量に引き受けていた大蔵省(当時、現財務省)資金運用部の国債の引き受け比率が、大きく低下することを示していた。

 そして国債発行額の拡大に伴い1999年の1月から長期国債は、月々1兆8千億円と一気に4千億増額される見通しも出され、1999年度の国債発行額は70兆円以上、うち市中消化は60兆円以上との新聞報道もあり、大蔵省資金運用部の国債引き受けが減るのは、第三次補正予算だけでなく、来年度も急減することがこれによって明らかになった。 加えて宮沢蔵相は、運用部の債券買い切りオペの中止を示唆するコメントを出た。これをきっかけにして債券相場は急落し、これはのちに「資金運用部ショック」と呼ばれたのである。
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by nihonkokusai | 2008-10-02 09:42 | 債券市場 | Comments(0)
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