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「失われた10年を振り返る(前編)」


 現在、米国の金融危機は過去の日本の失われた10年を早送りで見ているようだとの指摘がある。今後の米国の動向を占う上でも、あらためて当時の様子を整理してみたい。

 まず、少し遡って日本のバブル崩壊時の様子から見てみたい。振り返ると1991年が、バブル崩壊の実態が本格的に表面化し始めた年といえた。1月に典型的なバブル企業の倒産と言われたナナトミの倒産があり、イトマンの河村社長が解任された。8月には女相場師で有名であった大阪ミナミの料亭の女将が逮捕された。大手証券の損失補てんが発覚。投資家の株式離れが本格化した。日銀は6月に短期金利の低め誘導を行い、7月に公定歩合を2年ぶりに引き下げ、11月、12月と続けて公定歩合を4.5%に引き下げたが、これによる効果は限られた。

 1992年1月に地価税が導入され、これにより土地神話は完全に打ち砕かれた。3月末に公共事業の施行推進など、緊急経済対策が決定。公定歩合も3.75%に引き下げられ、7月にも0.5%の追加引き下げが実施された。8月には総合経済対策が策定され、公共事業投資の拡大などを主体とした事業規模は10.7兆円に達した。

 この年の秋、前FRB議長のポール・ボルカーは日本での講演において「米国と同じように日本でもバランスシート不況が必ず起こる。対策は早ければ早いほどよい」と警鐘を鳴らしていた。バランスシート不況とは、貸借対照表の資産価格が土地や株価の下落で下落しても負債はそのまま残り、自己資本比率が低下することである。簡単に言えば資産の価格が下げても、借金は減らずにそのまま残ってしまっていることである。実際にこのバランスシート不況が不良債権問題を生み出すことになる。

 1993年6月に国会での政治的混乱から宮沢内閣に対して不信任が決議され、総選挙が実施された。選挙の結果、8月に38年ぶりの非自民政権である細川内閣が誕生した。 しかし、細川内閣の経済運営にも失望感が広がり、株価の下落は続いた。9月に6.2兆円の「緊急経済対策」が実施され、日銀は公定歩合の第7次引き下げを実施し、1.75%まで引き下げられた。また、補正予算が組まれ、約15兆円の「総合経済対策」が、1994年2月に実施された。これには所得税減税など5.8兆円も盛り込まれた。このあと、1994年度から1996年度までの3年間で、毎年6兆円近くの減税が実施された。

 1993年8月に大蔵省(当時)と東京都の合同検査により東京協和信用組合と安全信用組合が多額の不良債権を抱えていることが明らかになり、1994年に東京協和・安全信用組合が破綻した。

 この信用組合の経営危機に対し、東京都だけでは対応できず、大蔵省は日銀とともに受け皿となる新銀行を設立し、破綻処理を行うスキームを策定した。これが東京共同銀行であり、破綻した東京協和信用組合と安全信用組合の整理を目的として預金保険機構と東京都の出資により1995年1月に設立された。1996年に2信組の整理から金融機関一般の整理業務へ業務を拡大し、整理回収銀行と名称が変更された。

 1995年に入り、阪神淡路大震災が発生。その後、金融システム不安も再燃し、2月にはベアリングズ社の経営破綻、そして3月には地下鉄サリン事件などもあり、日経平均は4月に15381円まで下落した。このため、日銀は公定歩合を1.75%%から一気に1%に引き下げた。4月19日には東京外為市場で1ドル79円75銭という円の最高値を記録している。8月に入って日米欧の協調介入により円は急落し、9月8日に公定歩合が年率0.5%にまで引き下げられたが、債券相場の上値は重かった、これにはジャパン・プレミアム問題が関係していた。

 1995年7月末にコスモ信用組合が経営破綻し、兵庫銀行、木津信組が次々と経営破たん。これ以降いわゆる「ジャパン・プレミアム」が拡大した。海外で融資を行っている日本の大手銀行が現地でドルを調達する際に、欧米の主要行より金利を上乗せされる現象が広まったのである。この上乗せ幅のことを、ジャパン・プレミアムと呼んだ。9月に大和銀行がニューヨーク支店で米国債投資に失敗して、約1100億円の損失を出したと発表し、ジャパン・プレミアムがさらに拡大した。

 大蔵省、日銀は金融システムを安定化すべく預金保険機構による支援に加え、1995年8月にはコスモ信用組合の経営破綻対しては30年ぶりとなる日銀特融も発動された。しかし、破綻規模が大きく大蔵省や日銀による対策だけでは処理しきれない状況となってきた。当時の政府も今回の米国と同様に、公的資金の投入には及び腰だったものの、結局は公的資金を投入せざるを得なくなったのである。

 その結果、1996年に政府は住宅金融専門会社(住専)の破綻処理に6850億円の公的資金を投入した。しかし、これに対し世論や野党から強い批判を浴びた。住専の乱脈経営の穴埋めに国民の血税を使うのかといったモラルハザードの問題が指摘されたのである。

 1997年1月に入り、金融システム不安が一気に表面化した。3日に三洋証券が会社更正法適用を申請、17日には北海道拓殖銀行が経営破綻し北洋銀行への営業譲渡を発表した。24日には証券大手の山一證券が自主廃業を届け出、26日には徳陽シティ銀行が分割譲渡と4つの金融機関が相次いで破綻した。

 三洋証券の破綻の際に、コール市場での小規模なデフォルトが発生した。金融機関同士で取引しているコール市場という信用の上で成立している金融市場の中で、戦後初のデフォルトが起きた。これが他の金融機関破綻の引き金となり、信用リスクと流動性リスクの増大により金融システム不安が一気に高まったのである。

 12月に入り政府は金融システム安定化策として30兆円の財政資金を用意した。17兆円は預金者保護、残りの13兆円は銀行の自己資本強化に用いられることになった。財源として新型国債といわれた交付国債10兆円と政府保証枠20兆円の計30兆円で賄われることも決まった。

 1998年2月に30兆円の公的資金枠を設けた金融安定化法が成立。10月に日本長期信用銀行、日本債券信用銀行と、経営破たんが相次いたが、これらに対しては一時国有化により公的資金が活用された。

 不良債権処理問題を先送りしてきた結果、破綻処理による国民負担は10兆円規模に達した。巨額の不良債権処理で資本不足に陥った銀行による貸し渋りが深刻化し、さらに破綻処理だけでなく大手銀行への公的資金による資本注入にも踏み切ることになった。資本注入額は実質国有化されたりそな銀行を含め、最終的に総額12.4兆円にのぼった。

 1998年6月に政府は大蔵省から民間金融機関等の検査・監督を分離し金融監督庁を設置して金融機関の経営監視を強化すること等で金融システムの安定化を図った。また、10月には金融再生法が成立し、公的資金を投入して金融機関の破たん処理をする仕組みが整ったのである。
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by nihonkokusai | 2008-09-29 12:39 | 債券市場 | Comments(0)
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