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「国債の起源」


 債券の起源は証券の起源ともなり、それは国債の起源でもありました。12世紀のイタリアの諸都市群のひとつベネチアでは、政府が交易で富を蓄積した商人たちから資金調達をするようになりました。その手段のひとつが十字軍遠征などの戦費調達のため市民からの強制借入というかたちで発行された貸付債券でした。ベネチア政府の発行した貸付債券は市場が価格が形成されるなど現在の債券市場も形成され、投資対象としての信用度も高かったそうです。また、ジェノバでは元利返済のため税収を他の歳入から分離しシンジケート団に預け、その徴税権を担保に出資債券を発行して国に融資するという手段を講じました。しかし、ベネチアとジェノバはシノガッタ戦争を起こしその結果、戦費拡大によってこういった債券がデフォルトを起こすなどしたことや、イタリア諸都市群の経済衰退により、政府の信用度が低下していきました。

 16世紀には、ハプスブルグ家のカールⅤ世がフライスとの戦争のために、領地であったネーデルランド連邦ホラント州の議会に税収を与えるなどしたことで、その議会への信用を元に国債の発行制度を形成しました。

 また貿易などによってネーデルランドつまり現在のオランダの国民は豊かとなっていたことで、発行された国債を家計が購入するという資金の流れが確保できていたこともあって、オランダで国債の管理制度が整ってきたのです。

 オランダの国債制度がイギリスに導入され、1692年に酒類に対する物品税を恒久化し、それを担保にした年金国債が発行されました。そして軍事費の調達に苦慮する政府への財政支援のため1694年にイングランド銀行が設立され、政府は港湾利用税を担保にイングランド銀行から年利8%で120 万ポンドの借入を行ったことが、イギリスの国債の起源と言われます。

 イギリスの国債発行にあたっては、発行総額と期間をその都度公表し、割当請負制度を導入し、複数回の発行を集中させて流動性を確保するなど、国債管理制度をオランダ以上に整えてきたのです。名誉革命後のイギリスでは一度もデフォルトを起こさなかったこともあり、イギリス国債の信用力が高まることで、政府の資金調達が容易となったのです。

 また国債の流動性が向上するということは債券市場の発達に繋がります。政府も既存の国債を整理統合するなどすることにより、国債の売買を容易とする手段を講じました。

 しかし、当初、イギリスの国債の保有者はごく一握りの特権会社に限られていました。イングランド銀行、東インド会社、そして南海会社です。ところが南海バブルの崩壊によって、この図式が崩れ、幅広い投資家を対象とした体制への変化が求められました。このため本格的な国の予算管理なども整えられ、さらなる流動性の確保などが進められていったのです。

 幅広い投資家層への発行には公募形式となり、全額引受といった保証がないことで、信用力などの国債の魅力そのものを高める必要性があります。投資家を意識した国債の発行により、イギリスの国債は国際的な投資対象としての地位を確保していったのです。

(以上の執筆にあたり、富田俊基氏の「国債の歴史」と、平山賢一氏などが書かれた「国債と金利をめぐる300年史」から一部引用させていただきました)
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by nihonkokusai | 2008-01-21 09:21 | 国債 | Comments(0)
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