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「コール市場の誕生(「短期金融市場の基本とカラクリがよ~くわかる本」原稿より)」


 エドウィン・グリーンの「図説 銀行の歴史」によると、1820年代以降、手形割引商がロンドンに出現し、為替手形を銀行や他の会社に流すようになったそうです。手形割引商最大手のオーヴァーランド・ガーニー商会が1866年に倒産した後、これらの仲介業者の多くが株式会社方式を取るようになり、その後、こういった会社が、主として短期資金の仲介業務によって、イングランド銀行と市中銀行の間の緩衝物として重要な役割を果たすことになりました。

 日本においても短期金融市場の設立とともに、その仲介役としての短資会社の出現によって、短期金融市場が発展してきました。その歴史を振り返ってみましょう。日清戦争後の企業設立ブームにより、銀行も数多く設立され、国立銀行の多くが普通銀行になるなどしたことで、普通銀行が大きく増加しました。明治26年に銀行条例、明治30年には金本位制が確立されるなどしたことも影響し、明治34年には1867行もの銀行が設立されていたそうです。

 しかし、1901年(明治34年)には金融恐慌が発生しました。日清戦争後の反動不況に加え、米国経済の低迷などを受けて日本からの輸出が低迷となり、正貨流出を防ぐ目的で、日銀は一般貸出を抑制し、貸し出し回収をはかりました。1900年に九州の銀行で支払が停止し、明治34年4月には大阪の第七十九銀行と難波銀行が休業しました。これが全国に波及したのです。

 この金融恐慌の経験に基づき、預金に対する支払準備資金の必要性に対する認識が高まったことなどもあって、金融機関相互の資金繰りを最終的に調整し合う場として、1902年にロンドン市場をモデルに誕生したのがコール市場なのです。日本で最も歴史のある短期金融市場といえます。

 支払準備金の一形態として誕生したコール市場ですが、これ以降、このコール取引を主体業務とするビル・ブローカー(現在の短資会社)の設立が相次いだのです。ビル・ブローカーとは、Bill Broker、つまり証券、為替や手形を仲介する金融市場のブローカーです。

 1902年5月に藤本清兵衛が、金融機関の支払い準備金市場設立の必要性の高まりを背景に藤本ビル・ブローカーを設立しました。藤本ビルブローカー証券は、後に藤本証券と社名を変更し、日本信託銀行と合併して大和証券となりました。

 また、藤本ビル・ブローカーより独立した山根十吉が1909(明治42)に山根ビル・ブローカーを設立し、1942(昭和17)に山根短資株式会社に社名変更しています。 1909年には、東京短資の前身となる柳田ビル・ブローカーが創業を開始しています。コール市場のブローカーとしてこのように、短資会社が大きな役割を演じるようになります。

 「ビル・ブローカー」と聞いて、現在の金融市場関係者の多くも短資会社をイメージする人は少ないかもしれません。太平洋戦争の時代、敵性語は禁止されました。野球のストライクのことを「よし」と言い換えたように、「ビル・ブローカー」も名称を改め「短資会社」としましたが、されがそのまま現在でも用いられています。

(「短期金融市場の基本とカラクリがよ~くわかる本」は、10月24日より全国の書店にて発売されます。)
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by nihonkokusai | 2007-10-17 10:27 | 日銀 | Comments(0)
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