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「日本における銀行のはじまり」


 日本では江戸時代に、「両替商」と言う銀行に近い商売がありました。江戸時代には金・銀・銭という3種類の貨幣が支払手段として利用されていました。両替商は、この金銀銭貨の交換ニーズを背景として登場しました。商人は可能な限り現金銀の取り交わしを避け、現金銀を両替商に預け入れ手形によって決済するといった慣習が出来上がりました。このようにして両替商は、商人や大名などを取引相手に預金の受け入れ、さらに手形の発行や決済、加えて貸し付け、為替取引など各種の金融業務を広く営むようになりました。このため、17世紀イギリスのゴールドスミスに匹敵した初期的な銀行の域に到達していたとされています。

 日本における本格的な商業銀行は、明治維新後に誕生した第一国立銀行とされています。明治政府は大蔵少輔伊藤博文の建議に基づいて、アメリカのナショナル・バンク制度にならった発券銀行制度を導入することとしました。

 この銀行制度の導入にあたっては、この伊藤案に対して、イングランド銀行をモデルにした中央銀行制度を導入すべしとした吉田清成との間で銀行論争が闘わされていました。結局、井上馨の裁断によって、伊藤案が採用されることとなったのです。明治5年11月、国立銀行条例を制定しました。そして、国立銀行4行が設立され、銀行券発行が始まりました。

 国立銀行という名称は、第一国立銀行の初代頭取となった渋沢栄一によりナショナル・バンク(連邦法に準拠して設立された銀行)の訳語として作られたのですが、文字通りの国立の銀行ではなく、政府とは資本関係のない民間の銀行でした。

 ちなみに日本語の「銀行」という言葉は、1872年制定のこの「国立銀行条例」の典拠となった米国の国立銀行法(「National Bank Act」)の「Bank」を「銀行」と翻訳したことに始まります。

 この翻訳に当たっては「両替商」に変わる新たな用語を模索したようです。しかし、すでに中国では「bank」の訳語として「銀行」が用いられていました。このため中国で「同業商人組合」を意味する「行」を用い、「金行」あるいは「銀行」という案が有力になりました。

 結局、「銀行」の採用が決まったのですが、これは、当時の貨幣制度が銀本位であったことや、「きんこう」よりも「ぎんこう」の方が発音しやすかったためとも言われています。

 日本で最初の私立銀行は明治9年に開業した三井銀行です。一時は政府の銀行政策が国立銀行中心であったことから、私立銀行に対して準期すべき法規はありませんでした。しかし、日本銀行が設立され、国立銀行の処理方針が決定するなどしたこと、私立銀行の重要性が増加しました。そして明治26年に銀行を定義するなどした「銀行条例」が施行されました。

 国立銀行の大きくは普通銀行に転換し、日清戦争前後には企業設立ブームとともに普数多くの通銀行が設立されました。しかし、明治34年の恐慌を経て預金は三井・住友・第一などの大銀行に集中するようになりました。

 明治20年には横浜正金銀行条例が公布され、横浜正金銀行が政府御用の海外為替銀行としての特殊銀行となっています。明治政府の殖産興業推進のため明治28年に日本勧業銀行法が公布され、明治33年には動産抵当銀行の設立のために日本興行銀行法が公布されました。
by nihonkokusai | 2007-10-03 14:37 | 投資
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