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「日本版アコードはあるのか」

 米国では1930年代の大不況下に米連邦準備理事会(FRB)は大幅な金融緩和に踏み切った。これを受けて、TBの金利は1938年からの3年間にわたってゼロ%近辺で推移した。この1930年代の不況対策に加え、1941年に第二次世界大戦に参戦したことで、米国の国債発行額は大きく膨らんだ。1945 年の国債残高はGNPの1.2倍に達したのである(2005年度日本における国の債務残高のGDP比は約1.18倍)。そして政府は連銀を通じて国債を買い支える価格支持策(ペッギング・オペレーション)を採ってきた。この結果、1946年に連銀は市場性国債残高の11.5%を保有していたのである(国債のうち日銀の保有比率は2005年3月末現在14.4%)。

 また、カネ余りにより米銀の余剰資金も膨れ上がり、この余剰資金を振り向けたのは国債であった。結果としてFRBは長期金利の跳ね上がりを防ぐことができ、大不況と戦争という危機を乗り切ったこととなる。上記の様子は現在の日本国債を取り巻く環境に、数値を含めてたいへん似ているようにも思われる。

 第二次大戦後、今度はインフレ懸念の台頭により、FRBは国債価格を維持する政策の副作用に直面することになった。インフレリスクを防ぐために、1951年に財務省とFRBは「アコード」を取り交わし、国債価格維持を撤廃したのである。これによりFRBの判断で金融政策が行えるようになり、中央銀行による金融調節が重要性を増すこととなった。財務省は金融政策に依存することなく、債券市場に向き合っての国債管理政策を採用することとなった。

 米国は平時への回帰に少なくとも20年もの長い期間を要したことになる。そして、まもなく同様のことが起きそうなのが現在の日本である。 10月以降にコアCPIはプラスが継続される可能性が出ており、政府と日銀は景気の踊り場からの脱却を明言している。つまり量的緩和解除の三条件が徐々に揃いつつある、

 しかし、財務省は「デフレは依然として継続しており、現状の量的緩和政策を堅持する姿勢に変更がないことを、市場や国民に引き続き示してほしい」と決定会合で要望している。日銀も当然ながら政府や財務省の意向といったものを重視していると思われる。日銀は新日銀法で独立性を保持しているとはいえ、今後の軋轢を防ぐためにも、量的緩和解除に際しては何らかの日本版アコードも必要となろう。どのようなかたちで日銀と財務省がアコードを取り交わすことができるのか。これは来年の大きな注目材料になるものと思われる。
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by nihonkokusai | 2005-08-19 12:53 | 国債 | Comments(0)
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