「勘は経験の蓄積なり」
本日の日経新聞のコラムで、野球評論家の豊田泰光氏は、勘とは経験の集積であることをコラムで書かれていた。野球という世界でも生き残っていくためには人より優れた専門技術とともに経験を通じて養われた確かな勘が必要であることは確かなのであろう。ただし、プロ野球選手とか校長先生のように現場のプロの中で、もまれながらも、自らの立場を築き上げるために必要なものがこの経験に裏付けられた勘であると思う。プロ野球選手の中でも、そういった経験に裏付けられたものではなく天性の勘を持った長島選手のような存在もいる。
これは相場とか投資の世界でも同様である。一般人で投資で損をせずにある程度の利益を蓄積させていくために必要なのが、経験とそれに基づいた勘である。私も債券ディーラーになりたての頃は、日々試行錯誤の連続で、当初は大きく損失も出したりしていた。ビリピリと神経を張り詰めながら、必死で値段の動きを追って、売買を実際に行った上で、損を出したり利益を出したりしているうちに勘が養われてきたのである。ある程度の勘が得られれば、大儲けといったことは難しくてもこつこつと儲けることは可能である。これが14年間ディーラーとしてやってきたことの結論でもある。
そしてまた、投資の世界にもやはり長島選手のごとく、天性の勘が備わった者も数は少ないが存在していることも確かである。そういった彼らはひっそりと売買を繰り返し巨額の利益を継続して得ているが、マスコミなどにもほとんど登場してはいないし、本なども書いてはいない。別にマスコミで顔を売らなくても、自らの裁量で巨額の利益が得られるのであり、それ以前に彼らは相場が開いている時間はそれこそ画面に張り付いていなければならない。
どの世界にも天才は存在する。しかし、たぶん多くの人は残念ながら自らの才能を開花させる場所にいないことで、努力とともに経験によって必要な勘を得ることで、その専門分野で力をそこそこ発揮できるようになる。しかし、経験を無視してマニュアルやコンピュータのデータなどを重視して経験に変えようとしても、そこには得られる情報があまりに少ないため、平時の対処はできるが肝心の異常時の対応ができなくなってしまうため、結果を出すためにはあまりというかほとんど参考にはならない。
野球選手も債券ディーラーも、試合や相場の中で、コンピューターなどでは処理しきれないほどの情報を脳が得て、それから結果を出そうとしているのである。それは相手のピッチャーのデータや、前日の値動きなどだけではなく、その場の選手や監督の事情、投資家の事情、観客の雰囲気、相場の地合、試合の時期、相場への季節的な影響、など計り知れないもの、というよりそれぞれを数値化することも難しいものの中にあって流れを読むことで結果が求められる。経験を積み上げることによって、状況が異なった中にあっても、過去に似たような状況がたとえば価格の変化として見えたり、球種が読めたりすることによってそこに勘が働く。そしてこの経験に裏打ちされた勘によって、大きな失敗を避けることもでき、また波に乗ることも可能となることで、まさに生き残れるのである。