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「日銀と首相官邸」


 日本銀行は今年3月に量的緩和政策を解除し、7月にはゼロ金利政策も解除している。政府はこの間、デフレ脱却宣言は結局出すことはなく、物価に対しての認識が政府と日銀ではやや異なっていたことが伺える。

 しかし、これほど大きな日銀による金融政策の変更の際に、政府側からは表立った反対姿勢といったものはみられなかった。小泉政権下において金融や経済に絡んでのご意見番ともみられていた竹中総務相(当時)などは、量的緩和解除は時期尚早との立場を維持していたものの、政府は最終的に判断は日銀に任せる格好となった。ただし、失敗した際にはその責は日銀が負うとの認識も小泉首相は持っていたのではないかとの観測もあった。本音はご本人に聞くしかないものの、首相という立場にいる以上は勝手にどうぞというわけにもいかないはずである。

 日銀法の第4条にも「日本銀行は、その行う通貨及び金融の調節が経済政策の一環をなすものであることを踏まえ、それが政府の経済政策の基本方針と整合的なものとなるよう、常に政府と連絡を密にし、十分な意思疎通を図らなければならない。」とある。

 2000年8月のゼロ金利解除の際に政府は議決延期請求権を行使し、政府と日銀との溝が深まった。このときの行使に対しての決定権は当時の宮沢蔵相に任せられていたとみられる。当時の宮沢氏は自らの意見を重視したというよりも自民党政権内部の総意といったものを強く意識したものと思われる。

 2000年8月当時と2006年の量的緩和解除当時の政府側の状況では大きな変化が生じている。つまり、小泉政権となり政府の意向が自民党の意向ではなく政府官邸の意向に変化していたことである。

 小泉政権によって政府と呼ばれるものが自民党内部での意見調整から首相官邸への移行した。それだけ首相の権限が強化されるとともに、透明性も強化され、首相の決断がさらに重きをなすようになった。

 つまり2000年当時ならば日銀が政府に対して議決延期請求権の行使を止めさせようとするならば、自民党の関係議員のみならず権力者と呼ばれる議員への根回しも当然必要となった。ところが小泉政権下のシステムでは首相官邸の意向といったものがすなわち政府の意向ともなる。

 そして決定権者でもある首相は、首相官邸の独立性ならぬ日銀の独立性についても配慮する必要を感じていたのではないかとみられるのである。さらにこういった大きな決断の際にはそれなりの専門家に話を聞くことが多いとみられた小泉首相だが、日銀の金融政策に理解を示すブレーンがいた可能性もある。

 以上はあくまで結果からみた個人的な推測にすぎないが、首相官邸の権力強化が日銀にとって解除にむけてのフォローとなった可能性もありそうである。
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by nihonkokusai | 2006-10-17 13:36 | 日銀 | Comments(0)
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