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「東京オリンピック」


 東京が2016年の夏季オリンピックの国内候補都市に選出された。2008年が中国の北京で開催される上に、最大のライバルが米国となればちょっと難しいかなとも思われるが、名乗りを上げて候補となった以上は、ぜひ選出されるようにがんばってほしい。前回の東京オリンピックの際は私はまだ6歳で、当時住んでいた横須賀の田浦に聖火が通過するのを見た記憶が残っている程度である。もし今度また東京で開催されるならば、しっかりと競技を生で見てみたい気もする。

 東京オリンピックと聞くと以前はノスタルジーに浸ってしまっていたが、国債のことを調べてからは、少し複雑な気持ちにもなっている。戦後初めて日本で国債が発行された要因のひとつとして、この東京オリンピックも影響していたとみられるためである。以下、拙著「日本国債は危なくない」の原稿より。


 昭和30年(1955年)あたりから日本経済は高度経済成長の波に乗り、好景気が昭和39年(1964年)まで続くことになる。昭和30年(1955年)から昭和32年(1957年)にかけて、日本は「神武景気」と呼ばれた大型景気を迎えた。昭和30年に出された経済白書には「もはや戦後ではない」と表記されているが、それだけ戦後の日本経済が立ち直ってきたという証でもあった。電気冷蔵庫、電気洗濯機、テレビ受信機の「三種の神器」が登場し、こういった家電製品の普及は個人消費に大きく貢献した。

 「なべ底景気」と言われる景気減速を経て、昭和34年(1959年)ごろから再び景気が上向き、今度は「岩戸景気」と呼ばれた好景気が続いた。皇太子のご成婚によってテレビが急速に普及したのもこの頃である。「投資が投資を呼ぶ」とも言われ設備投資が景気を引っ張り上げていった。この「岩戸景気」は42ヶ月にも及ぶ持続的な景気となり、昭和35年(1960年)に実施された池田内閣による「所得倍増」をスローガンとした高度経済成長政策も日本経済の追い風になった。昭和38年(1963年)は、東京オリンピックを控えて公共投資が活発化した。夢の超特急といわれた東海道新幹線や首都高速道路、東京モノレール、そして黒四ダムといった大型の公共工事が次々に行われてきたのである。

 しかし、東京オリンピックが始まった昭和39年(1964年)10月ごろから景気は急速に冷え込みはじめ、後退局面に入った。すでに昭和36年(1961年)ごろから中小企業の倒産が増加しており、株価も下落していた。企業収益も減りつつあったのだが、それが顕在化したのが昭和39年(1964年)の後半であった。 昭和40年(1965年)に入ると、サンウエーブや山陽特殊製鋼など大手企業の破綻が相次いだ。株価も急落し続け、信用不安も広がりをみせていた。信用不安に対しては、山一證券への日銀法25条にもとづく無担保・無制限の特別融資(日銀特融)が実行されたことでなんとか収まったのだが、株価の下落はさらに続いた。これが「40年不況」と呼ばれ、金融緩和も効果がなく、財政面からの公共事業が促進されることになり、戦後初めてとなる「国債発行」が準備されることとなったのである。
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by nihonkokusai | 2006-08-31 09:59 | 国債 | Comments(0)
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