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「日本銀行の生い立ち」


 明治維新以降の日本では、西洋諸国に対抗するために産業や資本主義育成により国家の近代化を推進した積極的な殖産興業政策を展開していました。しかし、財政的基盤といったものもまだまだ固まっておらず、さらに金銀貨による幣制の統一を目指していたものの、貨幣素材の不足や造幣能力の不十分さもあって、金銀貨の鋳造といったものもなかなか進まなかったようです。このため、明治政府は資金の調達のために、この金銀貨に代わる支払手段として、政府紙幣や国立銀行券といった不換紙幣の発行に依存せざるを得なかったのです。

 そんな最中の1877年2月に、上野の銅像でも有名な西郷隆盛たちと政府が戦った西南戦争が勃発したのです。政府はこの戦争のための費用を調達するために大量の不換政府紙幣、不換国立銀行紙幣を発行せざるを得ませんでした。これによって貨幣の価値が急落しその結果、激しいインフレーションが発生しました。

 当時の大蔵卿(現在の財務大臣にあたる)は早稲田大学の創始者でもある大隈重信でした。大隈は積極財政を維持したまま、外債を発行することによって不足している銀貨を得て、それを市場に流せば安定すると主張したのです。ちなみに当時、対外決済に通常用いられていたのは銀貨でした。これに対して、現在の次官にあたる大蔵大輔の松方正義は、明治維新以来の政府による財政の膨張がインフレの根本原因であるとし、不換紙幣を回収することがインフレに対しての唯一の解決策であると主張したのです。

 松方の主張は大隈の財政政策を根幹から否定するものであり2人は対立しました。このため伊藤博文が松方を内務卿に抜擢すると言う形で財政部門から切り離して、一旦は事態収拾が図られたのですが、1881年の「明治14年の政変」によって大隈が政府から追放されると、今度は松方が大蔵卿に任命され、インフレ対策のために自らの主張した政策を実行することとなったのです。1881年大蔵卿に就任した松方正義は、不換紙幣の整理をするため正貨兌換の銀行券を発行する中央銀行の創立を提議しました。これにより通貨価値の安定を図るとともに、中央銀行を中核とした銀行制度を整備し、近代的な信用制度を確立することが不可欠であるとしたのです。こうして1882年6月に日本銀行条例が制定され、日本の中央銀行として日本銀行が設立されることになります。同年10月10日には日本銀行の業務が開始されたのです。

 松方正義は政府発行紙幣の整理を中心とする金融政策の実現に取り組み、この日本銀行の設立を経て政府発行紙幣の全廃と兌換紙幣である日本銀行券の発行を行いました。この政策によって財政収支は大幅に改善されたものの、深刻なデフレーションを招いたために松方デフレと呼ばれて世論の反感を買ったことでも知られています。しかし、不換紙幣を回収し市中に兌換紙幣を流通させたことにより、紙幣の「信用」が著しく高まることとなり、結果としてその後の経済は活発化し、短期的には景気の低迷を招いたものの、日本経済の発展にはプラスに働いたとみなされています。
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by nihonkokusai | 2006-06-12 10:16 | 日銀 | Comments(0)
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