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「田中角栄とオイルショック」

 三種の神器に代わって消費の牽引役となったのは、3Cブーム(カラーテレビ、クーラー、カー)であった。この高度成長に伴う税収増から、政府は公債依存度の引き下げに努力したものの、それが可能であったのは、昭和43年(1968年)から昭和45年(1970年)までの間だけであった。国債の発行は、財政面の刺激により景気の浮揚をもたらすとの期待と裏腹に、財政への安易な依存をもたらす危険性も秘めている。そして1968年には国民総生産(GNP)が資本主義国の中で第2位に達したのである。

 昭和45年(1970年)といえば、大阪府吹田市の千里丘陵で3月15日 から 9月13日まで日本で最初の国際博覧会、大阪万博が開かれたが、このときも「東京オリンピック」と同様に、この秋から景気後退局面となる。国家の威信をかけたプロジェクトによる経済への効果や国民の士気を高めるといった効果は当然あったとは思うが、それによるツケも大きいものとなった。いったん昭和46年(1971年)に景気は底入れの兆しが見えたが、この年に。今度は「ニクソンショック」が世界を襲い、当然ながら日本も巻き込まれることとなった。日本の高度成長は東京オリンピックでいったんブレーキがかかり、これによって政府は債務を抱えるようになった。この高度成長は結局、大阪万博というもうひとつの国家的イベントによって幕を閉じる格好となったのである。

 昭和46年(1971年)年8月15日に、当時のニクソン米国大統領は、米国の国際収支の赤字を削減してドルの流出を防ぐ目的により、外国の通貨当局に対してドルと金との交換停止を通告した。これによって、戦後続いてきたドルを基軸通貨とする固定相場制は終了し、1ドル360円の固定相場制は中止され、変動相場制に移行したのである。

 欧州各国は変動相場制の対応に追われるなか、日本だけは輸出企業を守るためとの名目から、円レートを守ることを最優先課題とした。12月のスミソニアン合意により、1ドルは308円に切り下げられたのだが、円の切り上げが不可避となっても、それを最小限に押さえ込もうと必死の対応をしたのである。その結果が、大量の国債発行による内需拡大と極端な金融緩和の実施となった。この後もこれと同じ愚を日本は何度も繰り返した。

 昭和46年には大型補正予算も組まれ、昭和46年度(1971年度)の国債発行額はついに1兆円の大台に達した。昭和47年(1972 年)7月には、田中角栄が総理大臣に就任。田中首相は「工業の全国的な再配置と知識集約化、全国新幹線と高速道路の建設、情報通信網のネットワークの形成」などを謳いあげ「日本列島改造論」を提唱した。加えて積極的な財政金融政策を提唱。この結果、昭和47年度(1972年度)の国債発行額はさらに増加し1兆9,500億円あまりに膨らんだのである。この年に組まれた当初予算は、伸び率が25%という空前の大型予算であった。また「福祉元年」と言われ、年金や健康保険給付の画期的な拡充も計られた。この財政・金融面における極端な拡張策は、結果として国内の景気の過熱、物価の高騰、土地の価格の上昇を招くことになる。

 昭和48年(1973年)10月、第4次中東戦争が始まった。アラブ諸国は禁輸措置を実施し、石油輸出国機構(OPEC)は原油価格の引き上げを実施。石油価格は一気に4倍となり卸売物価が前年比30%、消費者物価指数は前年比25%も上昇したのである。給油所は相次いで休業、買い占めや売り惜しみ、便乗値上げなどが相次いだ。トイレットペーパーや洗剤、砂糖などが不足するとの思惑から、買占めが各地で引き起こされた。しかし、この物価上昇は海外要因だけによるものではなかった。すでに日本の高度成長は限界に達し、国内需給が逼迫しており、それに石油価格の高騰がまさに火をつけてしまったといえる。

 この異常事態に対して財政金融両面においてきわめて強力な総需要抑制策が実施された公定歩合は昭和48年(1973年)中に、4.25% から9.00%に引き上げられた。昭和48年度(1973年度)の国債発行額は2兆円台を突破した。昭和49年度(1974年度)も総需要抑制策は実施され、企業の設備投資などが抑制された。この結果、需給ギャップ(経済の供給の伸び率と現実の需要の伸び率との乖離のことを)は拡大し、戦後初のマイナス成長となった。いわゆるスタグフレーション(景気停滞と物価上昇が同時に進行すること)に陥ったのである。戦後続いていた高度経済成長がここに終焉を迎えた。これにより税収は大幅に減少し、国債は増発され続けた。

 1975年11月、フランスのジスカールデスタン大統領の発案により、第一次オイルショック以降の経済の回復を主たる議題とした第一回の先進国首脳会議(サミット)がフランスで開催された。
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by nihonkokusai | 2005-07-22 12:59 | 国債 | Comments(0)
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