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「昭和30年代の高度経済成長」

 昭和30年(1955年)あたりから日本経済は高度経済成長の波に乗り、好景気が昭和39年(1964年)まで続くことになる。

 昭和30年(1955年)から昭和32年(1957年)にかけて、日本は「神武景気」と呼ばれた大型景気を迎えた。1950年から1953年における朝鮮戦争による所謂、朝鮮特需によって、もたらされた。神武景気の名前の由来は、神武天皇が即位して以来最大の好景気だからだそうである。

 昭和31年の経済白書には「もはや戦後ではない。われわれはいまや異なった事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる」と表記されているが、それだけ戦後の日本経済が立ち直ってきたという証でもあった。電気冷蔵庫、電気洗濯機、テレビ受信機の「三種の神器」が登場し、こういった家電製品の普及は個人消費に大きく貢献したと言われる。

 「なべ底景気」と言われる景気減速を経て、昭和34年(1959年)あたりから再び景気が上向き、のちに「岩戸景気」と呼ばれた神武景気を上回る好景気が続いた。「天照大神が天の岩戸に隠れて以来の好景気」から「岩戸景気」と名づけられたそうだが、このころ私は生まれている。私が生まれてまもなく写された写真には、白黒テレビが写っていたが、皇太子のご成婚によってテレビ受像機が急速に普及したのもこの頃だそうである。ちなみにテレビ放送開始は昭和28年である。「投資が投資を呼ぶ」とも言われ設備投資が景気を引っ張り上げていった。鉄鋼や造船、自動車、電気などの工場や石油コンビナートが京浜工業地帯などに立ち並んでいった。この「岩戸景気」は42か月にも及ぶ持続的な景気となったのである。

 昭和35年(1960年)に実施された池田内閣による「所得倍増」をスローガンとした高度経済成長政策も日本経済の追い風になった。まじめに働けば給料は確実に増えてゆき徐々に出世も可能となった。夢のマイホームも次第に夢ではなくなり、主婦も家電製品の浸透とともに重労働となっていた家事からだいぶ開放されるようになっていた。まずしいなりに夢を抱ける時代であった。まじめに働けば親の世代よりも裕福になれると信じ、日本人は一生懸命働いたのである。
 国民は確かに幸せになったと思う。当時の日本の経済システムが有効に機能し、それは政治としてもある面での成功を果たしたともいえる。しかし、所得倍増計画を言い出した池田さん自身が、晩年「何か国家としての忘れ物をしてきてしまった」と側近に漏らしているといわれるように、そのつけはあとの時代に露見してくる。

 昭和38年(1963年)には「東京オリンピック」を控えて公共投資が活発化した。夢の超特急といわれた東海道新幹線や首都高速道路、東京モノレール、そして黒四ダムといった大型の公共工事が次々に行われてきたのである。
 しかし、東京オリンピックが始まった昭和39年(1964年)10月ごろから日本の景気は急速に冷え込みはじめ後退局面に入ったといえる。すでに昭和36年(1961年)ごろから中小企業の倒産が増加しており、株価も下落していた。企業収益も減りつつあったのだが、それが顕在化したのが昭和39年(1964年)の後半であった。

 昭和40年(1965年)に入ると、サンウエーブや山陽特殊製鋼など大手企業の破綻が相次いだ。株価も急落し続け、信用不安も広がりをみせていた。信用不安に対しては、山一證券への日銀法25条にもとづく無担保・無制限の特別融資(日銀特融)が実行されたことでなんとか収まったのだが、株価の下落はさらに続いた。これが「40年不況」と呼ばれ、金融緩和も効果がなく、財政面からの公共事業が促進されることになり、戦後初めてとなる「国債発行」が準備されることとなったのである。

 昭和40年(1965年)7月、佐藤栄作首相、福田赳夫蔵相のもと、政府は財政投融資の増額と、特例国債(赤字国債)発行を内容とする補正予算を決定した。税収不足を補うために発行されたこの時の特例国債(赤字国債)の発行額は2,000億円。同時に、昭和41年度(1966年度)の予算編成における「建設国債」の発行と大型減税も決定したのである。
 昭和41年(1966年)1月に、戦後初めての赤字国債(特例国債)が、期間7年、利率6.5%、価格98円60銭で発行された。そして、3月には大蔵省資金運用部による国債の引受も開始された。これにより、歳入を全額、税収や日本銀行納付金などの税外収入で賄えた均衡予算主義は崩れさった。この年以降、財政に国債が組み入れられようになり、「財政新時代」の幕開けとも言われたのである。

 昭和41年度(1966年度)に発行された建設国債は、6,656億円。昭和42年度(1967年度)は7,094億円。そして昭和43年(1968年)は少し減って4,621億円の国債が発行されている。しかし、すでに景気は回復し、経済成長率は3年連続で10%を上回っていた。いわゆる「いざなぎ景気」である。景気が回復基調となっても国の借金は増え続けていくのである。明らかに何かが変ってきたと言わざるを得ない。私は戦後の経済成長の区切りとして戦後初めての国債発行時ととらえている。
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by nihonkokusai | 2005-07-21 10:45 | 国債 | Comments(0)
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