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あさが来たに出てくる両替商とは

 朝の連続ドラマの「あさが来た」の「あさ」が嫁いだ先の両替屋(両替商)とは現在の銀行のような役割をしていた。この両替商がどのような過程で生まれ、どのような業務をしていたのであろうか。

 天下統一を果たした徳川家康は全国支配を確固なものにするため貨幣の統一に着手した。当初は金貨を主体に流通させようとしたが、西日本では中国との貿易などに際し、銀が決済手段として長らく利用されており、いわゆる「銀遣い」がすでに支配的となっていたため、幕府としても追認せざるをえなかった。東日本では金が決済手段として用いられていたことで「東の金遣い、西の銀遣い」とも呼ばれた。このため、大坂の銀と江戸の金の交換で「相場」が生じ、時期などにより相場が変化する変動相場となっていた。

 金貨や銀貨に35年ほど遅れて1636年(寛永13年)に「寛永通宝」と呼ばれる銅銭が発行された。銅銭は庶民の生活に主に使われる補助貨幣といった位置づけとなっており、銅銭の発行は後回しとなった。

 このように江戸時代の貨幣体系は三貨制と呼ばれ、金貨、銀貨、銭貨が基本通貨として機能し、特に江戸においては金銀銭貨という三貨すべてが価値基準および交換手段に用いられていた。三貨制は世界の金融の歴史においても独特の形式であったとされる。

 両替商はこの金銀銭貨の交換ニーズを背景として登場した。両替とは「両」つまり主に東日本で使われた計数貨幣である「金」を、西日本で使われていた秤量貨幣である「銀」、もしくは小額の計数貨幣である「銭」と替えるという言葉からきている。

 さらに大坂の銀と江戸の金の交換で「相場」が生じ、時期などにより相場が変化する変動相場となっていたことで、手数料を取って両替をするという仕事が生まれた。これが鴻池(こうのいけ)や三井、住友を代表とする両替商(両替屋)である。

 両替のためには基準になる相場を決めなければならず、両替屋の大手が集まりその日の経済動向を読みながら相場を立てていた。この相場は大きな資金を動かす政府である幕府にも報告された。

 天下の台所と呼ばれた大坂では、全国各地の諸産物が集まり売買されていた。取引の多くは通帳などに基づき信用で売買された後に、商品ごとに定められた期日に代金が支払われた。この決済手段に使われたのが、銀目手形と呼ばれた手形である。このように大坂の商人は、可能な限り現金銀の取り交わしを避け、現金銀を両替商に預け入れ、手形によって決済するといった慣習が出来上がる。

 両替商はこの銀目手形(決済手段として利用された手形)の引き受け・決済や資金融通を通じ、大坂で発展した。さらに両替商は業務を広げ、商人や大名、そして幕府などを取引相手に、預金の受け入れ、手形の発行や決済、加えて、貸し付けや為替取引など各種の金融業務を広く営むようになる。このように両替商は現在の銀行業務に近い金融機関としての役割を担っていた。特に手形の決済制度などは、同時期の欧州など諸外国の金融システムに比べても、かなり発達したものとなっていた。この信用制度の確立により、さらに大坂での商業活動が活発化したのである。

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by nihonkokusai | 2015-11-05 09:27 | 金融の歴史 | Comments(0)
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