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祝、債券先物上場30周年

 10月19日は日本初の金融先物取引である長期国債先物取引が東京証券取引所に上場されて、ちょうど30年目となる。現在、長期国債先物(債券先物)は大証と東証デリバティブ市場統合に伴い大阪取引所にて取引されている。

 10月16日には30周年記念レセプションが東証にて開催された。私も参加させていただいたが、100名以上の市場関係者が集い盛況な会となった。最初に日本取引所グループの清田瞭CEOのご挨拶があった。清田氏は債券先物の上場の際は大和証券債券部の課長だったそうであり、まさに直接関係者であった。そして、そのあとゲストスピーカーとして財務省の理財局審議官である市川健太氏のスピーチが続いた。

 清田氏と市川氏からは債券先物の上場に関わる話が出ていた。30年前になぜ東証に債券先物が上場したのか、との理由は私も以前に書かせていただいたが、それがなぜ世界的にも有数な金融先物取引のひとつとなったのか、その理由を簡単に探ってみたい。

 債券先物が誕生した1985年はいろいろなタイミングが重なった。財務省の市川氏が指摘されていたが、赤字国債の償還という問題も絡んでいた。1975年度に石油ショック後の影響により巨額の税収不足が予測され、1975年に初めて発行された10年特例国債(赤字国債)が1985年に償還を迎えることになった。しかし、厳しい財政事情のもとで現金償還するとなれば極端な歳出カットが求められることになるため、特例国債についても借換債の発行を行わざるを得なくなった。建設国債だけでなく赤字国債も60年償還ルールが適用され、借換債が発行されたことも、国債市場の厚みを増すことになった。

 債券のディーリング業務とは既発債を売買する業務であり、それまでは証券会社にしか認められていなかった。国債を大量に保有している都銀などが、国債の発行量の増加もあり、ディーリング業務の認可を銀行が求めていたのである。1985年6月に金融機関の債券のフルディーリングが開始された。銀行が国債市場に本格的に登場することで公社債の売買高は急増し、1985年6月の売買高は約35兆円となり、5月の13兆6千億円に比べて、3倍近くに膨れ上がった。このあたりも見越して、国債のヘッジ商品となる国債先物の上場にむけた準備が進められており、1985年10月19日に長期国債先物が上場したのである。

 1985年のプラザ合意やそれにともなう日銀の金融政策なども絡んで、外為市場、株式市場とともに債券市場もディーリング時代を迎え、債券市場では債券先物と10年の指標銘柄を中心に売買高が急速に拡大することになる。流動性が非常に高い債券先物であったが、日計りを含むディーリングを中心に使われることとなり、中心限月に売買が集中するという、ある意味独特の慣習もこうして出来てきた。一時は世界の金融先物のなかでトップクラスの流動性を誇っていたのである。

 債券のディーリング相場は1989年あたりで終了する。1988年からは債券先物でシステム売買が開始され、それまでの人の手を介した市場からコンピュータで取引を行うようになった。これがどれだけ影響したかはわからないが、やはり相場は人の手を介したほうがやりやすかった面もあったのではないかと個人的には思っている。

 今回、30周年を記念して「国債先物・オプション取引市場の歩み」が公開されており、こちらもたいへん重要な参考資料となるため、ご興味ある方は下記の日本取引所グループのサイトで確認していただきたいと思う。

国債先物取引市場開設30周年記念ウェブサイト

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by nihonkokusai | 2015-10-20 10:01 | 債券市場 | Comments(0)
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