鉄道の日と日本国債
岩倉具視、大隈重信、伊藤博文などの明治政府の関係者は鉄道建設の必要性を提唱し、「日本人によって鉄道建設が可能である」としたイギリス駐日大使パークスの意見もあり、鉄道建設に向けての企画が進められた。
しかし、国内で資金調達をしようとしても、明治政府は財政的基盤といったものもまだまだ固まっていなかった。金銀貨による幣制の統一を目指していたものの、貨幣素材の不足や造幣能力の不十分さもあって、金銀貨の鋳造すらなかなか進まなかったぐらいである。明治政府は資金の調達のために、金銀貨に代わる支払手段として、政府紙幣や国立銀行券といった不換紙幣の発行に依存せざるを得ない状態となっていた。
商人への借入といった手段も考えられたが、当時の商人たちにもそういった余裕はなかつた。そこでパークスの紹介もあり、来日していた英国人資産家ハラチオ・ネルソン・レイを通じた私的な借入の契約を結ぶことにした。しかし、レイによる資金調達が困難となったことから、ヘンリー・シュローダー商会を通じた公募債として調達されることになる。
公債収入金の取り扱いについての日本政府の代理店としてオリエンタル銀行が指定され、ロンドン証券取引所で公募されることとなり、1870年4月23日に九分利付きで外債100万ポンドの日本国債が発行された。
つまり日本で最初に発行された国債は、鉄道敷設を目的とした九分利付外貨国債(年率9%の外貨建て国債)をロンドンにおいてポンド建てで発行されたものであった。この起債は結果として成功し、目論見書に記載されたとおりに1882年に無事償還された。
ちなみにオリエンタル銀行はアジアにおける貿易金融や資本取引かかわる業務を行っていた当時最大手の英系の国際銀行であったが1884年に経営破綻している。
日本初の国債は外債であったが、国内債として発行されたのは藩債の支払いのために発行されたものとされている。明治政府は旧幕藩体制下において累積した債務の処理に対して1871年の「廃藩置県」以降本格的に取り組み、その結果として藩債の一部が公債というかたちで支払われ、これが国内で起債された最初の国債になったのである。
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