バブル末期にもあった日銀の金融政策に対する市場の反応度の違い
1989年5月に日銀は当時の政策金利であった公定歩合を3.25%に、そして10月には3.75%に引き上げた。日銀はバブルの火消しに走ったのである。この日銀による公定歩合の度重なる引き上げを受け、債券相場は1989年にはすでに伸び悩みの状態となっていた。しかし、日経平均はこの間も上昇し続け、日経平均株価の1989年の大納会の引け値は、38915円と4万円に迫り、結局これが最高値となったことは、ご承知の通り。
この間、日本の株式市場はユーフォリアの状態にあったものとみられ、日銀の金融政策の変更は完全に無視された。しかし、債券市場は反応していたことで、私は株の上昇に対して非常に違和感を覚えていた。債券市場と株式市場の反応の違いに、疑問を感じていたのである。
1990年に入ると債券に加え、株式や円のトリプル安でスタートすることになる。年末年始の休みの間に株式市場も冷静になったと思われるが、これについてはアメリカの金融緩和期待の後退、ソ連情勢の悪化、日銀による公定歩合の再引き上げ観測などが要因とも指摘されていた。3月20日に日銀は第四次の公定歩合引き上げを実施し、これは1.0%の大幅引き上げとなり、公定歩合は年率5.25%にまで引き上げられた。
その後、株式は一時的に戻したものの、8月2日のイラク軍によるクウェート侵攻による原油価格の急騰などからインフレ懸念が一段と高まり再び下落した。物価上昇を気にしてか、日銀は8月30日に公定歩合を0.5%引き上げて年6.0%とする第五次公定歩合の引き上げを実施。これを受けて債券先物は急落し、9月27日には債券先物市場開設以来の安値87円8銭まで下落し、10年債利回りも8%台に上昇し、10月1日に日経平均は2万円を割り込んだのである。
しかし、その後はバブル崩壊による金融システム不安などの高まりなどから、日銀は金融政策を引き締めから緩和に方向転換した。この頃の日銀総裁が先日、亡くなった三重野氏である。バブル抑制のため、度重なる金融引き締めを行ったことで、三重野総裁は「平成の鬼平」ともいわれたが、これにより三重野総裁はバブル経済を崩壊させ、失われた10年を起こした張本人とされた。
失われた10年ではなく、現在は失われた20年との呼び方もされるが、この際に失われたのは日本の経済成長力や株価のみならず、金利も失われたのである。これは長期金利のグラフを見れば一目瞭然である。1990年から1998年にかけて長期金利は右肩下がりとなり、8%台から1%割れへと低下した。
ここで現代に戻りたい。今回の日銀の金融政策については、1989年当時とは金融引締と金融緩和という点で180度異なっている。今回は日銀の追加緩和に対して株式市場などは反応せず、債券市場は素直に反応していた。1990年以降に起こったようなことが、今回も起こるという可能性はないとは言えない。つまり1990年以降とは真逆の事が今後、日本で起きる可能性はなかろうか。
今回の日銀の金融緩和の目的はデフレ脱却であり、物価の上昇を促すことである。つまり、それが功を奏すれば、物価も金利も上昇することになる。今後も日銀はコアCPIの1%に向けて、追加緩和を行ってくる、もしくは行わざるを得なくなる可能性がある。その間、長期金利は低位安定しよう。しかし、コアCPIが1%に達する可能性が見えてくると、今度は日銀の出口戦略が意識され、長期金利がボトムアウトしてくる可能性がある。これがデフレからの脱却と意識されれば、株式市場は上昇圧力を強めてこよう。
今後、失われた20年の間に、失われた日本の金利も復活してくることがあるのかもしれない。今回の日銀の金融政策に対する市場の反応度の違いをきっかけに、過去を思い出し、そのような可能性もあるのかなと感じた次第である。
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