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日本政府による財政再建の歴史、戦後初の国債発行から国債格下げまで

 1965年7月に佐藤栄作首相、福田赳夫蔵相のもと、日本政府は財政投融資の増額と、特例国債(赤字国債)発行を内容とする昭和40年度の補正予算を決定した。同時に昭和41年度の予算編成における建設国債の発行も決定したのである。こうして1966年1月に、戦後初めての国債が期間7年、利率6.75%で2千億円発行されたのである。

 1966年当初予算から本格的に国債が導入され、建設国債6750億円が発行された。この年の3月からは大蔵省資金運用部による国債の引受も開始された。これにより歳入を全額、税収などの収入で賄えた均衡予算主義は崩れさり、この年以降、財政に国債が組み入れられる財政新時代を迎えることとなったのである。

 昭和40年代に発行された国債は、国債引受シンジケート団と大蔵省資金運用部によって引き受けられていた。シ団引受の一部は市中消化されたが、ほとんどはシ団メンバーの金融機関が保有した。金融機関が引き受けた国債の市場売却は、事実上自粛されていたが、1967年1月より日銀は買入債券の対象に発行後1年経過の国債を追加したことで、金融機関の保有する国債はほぼ全額このオペによって吸収された。

 1972年1月から、それまでの満期7年物から満期10年物の国債が発行された。この年の7月に日本列島改造論を提唱した田中角栄が総理大臣に就任し、積極的な財政金融政策を行った結果、1972年度の国債発行額は増加し1兆9500億円あまりに膨らんだ。

 1973年のオイルショックにより、財政・金融両面においてきわめて強力な総需要抑制策が実施された。1973年度の国債発行額は2兆円台を突破。1974年度も総需要抑制策は実施された結果、需給ギャップは拡大し戦後初のマイナス成長となった。

 1975年には税収等の減少は3兆6000億円にも及んだ。補正予算が組まれ、3兆4800億円の国債が増発されたが、このうち2兆2900億円が初めて特例国債により賄われたのである。

 1978年までの大型財政により財政赤字が拡大したことで、財政再建が必要とされ、一般会計の伸び率も抑えられた。1979年度の国債発行額は15兆2700億円にも達し公債依存度は約4割を占めていたのである。1979年9月の大平総理の所信表明において、特例国債を含めた国債の本格的な償還が始まる1985年を控えた1984年までに、特例国債依存体質から脱却するための目標が明らかにされた。この財政再建のために一般消費税の導入が図られ、10月の総選挙で国民に問われることとなったが、国民の反発は強く自民党は大敗してしまった。

 1980年7月に誕生した鈴木善幸内閣で、行政管理庁長官となった中曽根康弘の主導で、前経団連会長の土光敏夫を会長として臨時行政調査会(臨調)が発足し、増税なき財政再建を打ち出した。財政赤字削減を全面的に歳出削減によって実行しようとの構想である。三公社(国鉄、電電、専売)の民営化、公共事業費や公務員定数の削減など徹底的な歳出抑制が図られた。

 ところが1981年度時点において、税収不足から国債整理基金の決算調整資金約2.3兆円が一般会計へ繰り入れられた。国債整理基金の決算調資金というのは本来国債の償還財源であったはずである。1982年度の補正予算において、4兆円規模の国債の追加発行も行われ、財政再建の道はここでいったん閉ざされた。

 しかし、景気回復も手伝い1983年度予算ではマイナスシーリングが実施され、再び財政抑制策がとられた。1990年度までに特例国債依存体質からの脱却と、公債依存度の引き下げに努めるという努力目標が示され、鈴木総理から財政非常事態宣言が出された。1987年度まで、歳出は5年連続で前年比マイナスに抑えられることとなった。

 1986年度も歳出は抑制されが、公共事業費は財投資金の活用などにより、前年を上回る水準が確保され、金融面では1986年1月から1987年2月にかけて5回にわたり、公定歩合が5.0%から2.5%にまで引き下げられた。この時期、一般歳出は抑制され財政再建策が取られていたことで、円高対策は日銀の金融政策に押し付けられる形となり、これがバブルを加速させた。

 バブルの波に乗り、民間消費や民間設備投資に主導された経済成長が持続した。このため申告所得税、源泉所得税、法人税、そして有価証券取引税などを中心に税収は伸び、この時期、一般歳出は抑制され続け財政再建策が取られていたことで、財政状況は大きく改善した。また、1989年4月からは、所得税や法人税などの大規模な減税と引き換えに消費税が導入された。この結果、1990年度には特例国債依存から脱却するまでになった。1990年度から1993年度まで特例国債の発行停止が続いたのである。

 1992年1月に地価税が導入され土地神話は完全に打ち砕かれた。3月末に公共事業の施行推進など緊急経済対策が決定し、8月には総合経済対策が策定され、公共事業投資の拡大などを主体とした事業規模は10.7兆円までに達した。1993年1月には大蔵省資金運用部が初めての国債買い入れを実施した。

 1993年4月に宮沢首相は事業規模13兆円の景気対策を実施。次の細川内閣も9月に6.2兆円の緊急経済対策を実施した。1994年2月には約15兆円の総合経済対策が実施され、これには所得税減税など5.8兆円も盛り込まれ、1994年度から1996年度までの3年間、毎年6兆円近くの減税が実施されたのである。

 1995年11月に武村大蔵大臣は財政危機宣言を行った。1996年度の国債発行額が22兆円近くに迫り、税収の約半分にも達する見込みとなったためである。そして、1997年4月に減税の財源として消費税の引き上げが実施された。11月には「財政構造改革法」が制定された。

 しかし、その後の金融機関の相次ぐ破綻により金融不安が強まり、これをきっかけとして景気が悪化した。1998年7月に成立した小渕政権では、次々に経済刺激策が打ち出され、国債が大量に増発された。同年11月16日に発表された20兆円規模の緊急経済対策(6兆円の恒久的減税を含む)では、財源に12兆円を上回る国債が手当てされることとなった。翌17日に米国の格付会社ムーディーズは、日本国債の格付を最高位のAaaからAa1に引き下げると発表した。12月には財政構造改革法が凍結された。 (続く)


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by nihonkokusai | 2012-01-12 13:52 | 国債 | Comments(0)
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