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牛熊ゼミナール金融の歴史第26回 計数銀貨の誕生

 1765年、田沼意次は勘定吟味役の川井久敬の提案を受け入れ、それまでの丁銀と豆板銀に限られていた銀貨に加え、まったく新たな銀貨を発行させました。重さを5匁に固定した五匁銀です。これにより日本で初めての額面を明示した計数銀貨が生まれたのです。このように銀貨と金貨との価値を固定化すれば、銀貨は金貨単位の貨幣となることで、幣制の統一が可能となるのです。

 これは秤で計ることなく通用させるのが目的で、五匁銀12枚を金1両に固定することで、銀相場の影響を受けることなく、銭の代わりとなるものと期待されたのです。しかし、当時の相場が1両63匁近辺であり、1両60匁に固定されたレートでは損失が発生することや、相場変動を利用しての両替で利益をあげていた両替商の抵抗もあり、結局、明和五匁銀は流通が停止されてしまいました。

 しかし、田沼意次は計数銀貨の発行をあきらめず、勘定奉行に出世していた川井久敬は銀座に命じ南鐐銀と呼ばれたほぼ純銀を使用した二朱銀を作らせ発行させたのです。この方形の新貨の表面には「以南鐐八片換小判一両」と書かれ、これが1両の八分の一、つまり二朱であることを明示したのです。

 南鐐とは良質の銀、純銀を意味した言葉であり、実際に二朱銀は純銀に近いものであったものの重さは2.7匁しかなく、本来の2朱相当の銀量の3.5匁よりも少なかったのです。この銀貨に対しても両替商などの抵抗はあったものの、「南鐐」のための信用度の高さや、使い勝手の良さにより、次第に普及して行きました。貨幣経済の発達により名目貨幣ではあっても、銀貨は次第に身近な貨幣として社会に受け入れられていったのです。

 南鐐二朱銀の発行の成功により、金貨体系による幣制の統一が実現されました。これは「金貨本位制」の確立に向けた日本の貨幣金融史上きわめて重要な改革となりました。その後、幕末までに7種類の計数銀貨が発行され、銀貨の約9割が計数銀貨となったのです。


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by nihonkokusai | 2011-11-03 17:40 | 金融の歴史 | Comments(0)
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