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牛熊ゼミナール金融の歴史第24回 大阪堂島で生まれた先物市場

 世界最初の取引所といわれている16世紀のアントウェルペン取引所では、すでにオプション取引や先渡し取引が行われていたのですが、現在の形式での先物取引などのデリバティブ取引の原型となっていたのは、江戸時代の大阪堂島で行われた米の先物取引です。

 大坂には諸藩が設けた蔵屋敷に年貢米が送られます。米の売却は蔵屋敷での競争入札で行います。落札した業者は代金の一分を支払い、蔵屋敷発行の米切手(米手形)を受け取り、一定期日以内に米切手と残銀を持参して蔵屋敷から米を受け取る仕組みとなっていました。この取引が時代とともに少しずつ変わり、米切手が転売されていくようになり、米切手そのものが米現物の需給に関係なく売買の対象となっていったのです。

 大坂の北浜に、淀屋の米市と呼ばれる米市場があったのですが、のちに淀屋市が堂島に移りました。堂島米市場で売買されていたのは落札された米切手です。米の売買に際し現物の代わりに1枚10石単位の米切手という倉荷証券が授受されたのです。米切手は米の保管証明書から一定量の米に対する請求権を表した商品切手に変わり、有価証券化して行きました。つまり堂島米市場は有価証券取引が行われた証券市場であったのです。

 堂島米市場では着地取引として米の廻着を待たずに米切手が先売りされるようになりました。米切手の保有している商人は米の価格変動リスクにさらされることとなり、この米価の価格変動リスクのヘッジを目的として「売買つなぎ商い」という先物取引が考案されたのです。この「つなぎ商い」が1730年に徳川幕府により公認され、堂島米会所が成立したのです。

 堂島米会所では、米切手を売買するいわゆる現物取引の「正米商い」に加えて、米の先物取引である「帳合米商い」が行われました。帳合米商いとは1年を春夏冬の三期にわけてそれぞれ4月28日、10月9日、12月24日を精算日とし、各期に筑前・広島・中国・加賀米などのうちから1つを建物(標準米)として売買し、反対売買による差金決済を原則とする取引です。 正米商いと帳合米商いともに消合場と呼ばれた株仲間組織によるしっかりとした清算機関(クリアリングハウス)が存在していました。不正を行った株仲間を取引停止にするといった処置も講じられ、市場秩序が維持されていたのです。こうして帳合米商いは、現在の先物取引と同様にヘッジ目的だけでなく投機目的でも積極的に商人が参加し、世界に先駆けた先物市場が発展していったのです。


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by nihonkokusai | 2011-11-01 08:31 | 金融の歴史 | Comments(0)
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