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牛熊ゼミナール金融の歴史第18回 秀吉の経済政策

 16世紀後半以降、西日本を中心に銭貨に加えて、米が再び交換手段として利用されるようになりました。戦国時代に保存の効く米が兵糧として重視されたこともあり、転売も容易な米が銭貨に代わる交換手段として改めて受け入れられるようになったのです。豊臣秀吉は太閤検地を行うことにより、米を経済の基礎とする石高制を取り入れ、年貢についても米納制の導入を図りました。撰銭などにより銭貨価値が不安定化していた時代に、価値が安定し換金性に富む商品である米を貨幣の代わりに手中に納めることによって、秀吉は全国統一の基盤を形成していったのです。

 太閤検地によって納税者と耕作者が同一として固定され、武士などによる中間搾取が禁止され、耕作者は領主からの直接的支配を受けるようになりました。土地の公用化が計られたのです。これにより大名は中央政権から知行が与えられ、中央政府の意向によって全国各地への移封が可能となり、江戸時代の幕藩体制の基礎が構築されたのです。さらに年貢となる米が武士のいる城下町に集められ、商人も城下町に定住するようになるなど、江戸時代の流通体制の基盤もこれによって形成されて行きました。

 秀吉は堺の今井宗久などの豪商と結んで鉱山開発を積極的に行い、生野や生野など全国の主要鉱山を直轄領としました。ちなみに佐渡金銀山の開発には、2009年のNHK大河ドラマ「天地人」の主人公である直江兼続が力を注ぎ、産出量を大きく高めました。秀吉は開発した鉱山から産出した金銀を用いて「秤量貨幣」を鋳造しました。金貨については後藤徳乗に命じて天正大判などを鋳造し、銀貨については湯浅作兵衛常是に大黒天の極印を打刻した良質の灰吹銀を鋳造させたのです。

 秀吉が鋳造を命じた金銀貨は大判と極印銀に限られていましたが、一定の品位を保った金銀貨を大量に鋳造したことにより、貨幣制度をあらためて構築され、それが徳川幕府による統一的な貨幣制度へと継承されることになるのです。貿易では、貿易港の堺を直轄地とした他、新たに博多を重視し、鉄砲の弾薬となる鉛と硝石の輸入、生糸貿易を独占したことで、これらにより秀吉は莫大な収入を得たのです。


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by nihonkokusai | 2011-10-22 16:26 | 金融の歴史 | Comments(0)
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