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牛熊ゼミナール金融の歴史第17回 信長の旗印となった永楽銭

 室町幕府の時代になると、足利義満が明との朝貢貿易(勘合貿易)を開始し、中国銭の輸入は室町幕府が一元的に行いました。輸出品は金から主に銅や刀剣へと転じたものの、銅銭は引き続き輸入されていました。

 銅銭の中でも明の永楽帝の時代の1411年から作られた永楽通宝(永楽銭)が、室町時代中期に大量に輸入されました。明では洪武帝のときにすでに銭貨使用が禁じられ、紙幣からのちに銀に切り替えられていました。このため、永楽通宝は明では流通せず、輸出品として主に国外で流通していたと考えられています。

 その一方、日本では貨幣経済が急速に発展していたにもかかわらず、政府による鋳造は行なわれず、中国銭貨への需要が非常に高まっていたのです。そのために日本との貿易のために永楽通宝が鋳造されることになったのです。

 永楽通宝を中心とする明銭は当初、貨幣として受け入れられませんでした。このため室町幕府は明銭の使用を奨励した撰銭禁止令を公布しました。銅銭の質的な劣化や、渡来銭を真似て鋳造され私鋳銭の流通も増大し、15世紀後半以降、銭貨をその質的優劣にしたがって良銭(精銭)と悪銭(鐚銭)に区分し、悪銭については受け取りを拒否したり、もしくは割り増しをつけて受け取るという「撰銭(えりぜに)」という行為が行われるようになっていたのです。

 ただし、永楽通宝そのものは質が良く、関東地方を中心とする東日本では、素材価値が安定的で形状や品質がほぼ一定していたことで、永楽通宝が基準銭貨として使われるようになっていました。しかし、唐や宋の時代の古銭を貨幣として重視していた西日本では、明では貨幣としても通用していなかったことから永楽通宝はあまり使われていませんでしたが、16世紀半ばから次第に永楽通宝の地位が高まり、全国的に永楽通宝が基準貨幣として普及していったのです。

 そして、貨幣による経済の発展を強く意識した武将が織田信長であり、その旗印に貨幣(永楽通宝)の図柄を取り入れたのです。


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by nihonkokusai | 2011-10-21 17:29 | 金融の歴史 | Comments(0)
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