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牛熊ゼミナール金融の歴史第16回 日本での金融業者の出現

 平安時代の末から大量の渡来銭が輸入され、貨幣経済の発達とともに、富裕な僧侶などが延暦寺など有力寺社の保護のもと、銭を貸して高利の利息をとる専門の金融業者が現れ、借上(かしあげ)と呼ばれました。鎌倉時代になると、これらの金融業者が担保として物品を預かるようになり、担保の品を保管するために土蔵を建てたことから「土倉」と呼ばれるようになりました。現在の質屋です。

 お金の貸し手が出てきたということは、当然ながら借り手が存在していました。貨幣経済が発達し、たとえば京都や鎌倉で過ごした御家人達は都市部での生活に慣れ、地方に帰っても同様の生活を送るようになり、消費が拡大しそのための借金をするようになっていたのです。そこに二度の元寇が起きたのですが、これにより領地が拡大されたわけできなく、国土を守った御家人たちへの恩賞は限られさらに窮乏し、借金を重ねることになったのです。

 こうした事態からの御家人の救済を目的として出されたのが徳政令です。1297年に出された最初の徳政令が、永仁の徳政令です。御家人が20年以内に質入れ、売却した所領をもとの持ち主に無償で返させるとともに、御家人の関係する所領についての訴訟を受け付けないこととしました。また今後の御家人所領の売買、質入れも禁止したのです。

 室町時代に入ると社会も不安定となり、土倉を持つ商人に貴重なお金や、財産や文書などを預けるものも現れました。商人は不特定多数の人々から利子付でお金を預かるようになり、預かったお金を元手に、貸し付を行う「合銭(ごうせん)」や、現在の為替に相当する替銭(かいせん・かえぜに)にも従事するようになったのです。

 このように土倉は預金や融資、さらに為替業務など現在の銀行に近い業務を営んでいたのです。これは日本の金融がヨーロッパ諸国に勝るとも劣らぬ古い歴史をもっていることを示しています。また、新興の禅寺などは「祠堂銭(しどうせん)」という貸し出しを行っていました。室町幕府は禅寺などにさまざまな特権を与えられて経済保護を受け、その基盤をもとに、利殖のため金融業も営んでおり、その収益の一部が幕府に入っていたのです。

 ただし、借銭・利銭、祠堂銭などによる当事の金利は年利で5~8割にものぼるとみられたいへん高利であり、返済は容易ではなかったのです。そのため、御家人階級や農民の生活を圧迫し、土一揆や国一揆などの要因となりました。


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by nihonkokusai | 2011-10-20 14:53 | 金融の歴史 | Comments(0)
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