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牛熊ゼミナール金融の歴史第7回 メディチ家

 世界最初の銀行が設立され、政府による本格的な政府による債務の調達が開始され、現在の金融システムに近いものが構築された金融取引が活発化した12世紀のベネチア、ジェノバなど北イタリア諸都市で、早くも金融危機が起こっていました。

 14世紀初頭になりトスカーナ地方で破産が多発し、当初の破産は限定的な地域に止まったものの、まもなくそれは広範囲な金融危機となっていったのです。フィレンツェ地方で銀行業務を営んでいたバルディ、ベルッツィなどの商会は、ヨーロッパ各地に支店を持ち、王侯や貴族に対して融資をしており、特にイギリス王との関係が深く、エドワード三世に対して巨額の資金を貸し付けていました。

 1339年、のちに英仏百年戦争と呼ばれたフランスとの戦争が勃発し、英国王室と関係の深い両銀行は戦費を引き受けざるを得なくなりました。戦争は莫大な出費を伴い、債務総額は王国の価値に匹敵する、とも言われたのです。さらにバルディ、ベルッツィなどの商会が英国の戦費を賄っていると知ったフランス王は、対抗手段としてフランス全域に有る両銀行の支店を閉鎖させ資産を没収しました。これを受けてバルディ、ベルッツィの両商会は、貸付先の英国に返済を求めたのですが、英国は莫大な債務を支払う能力は無く、その結果として債務不履行は避けられず、銀行業を営んでいた商会は一時支払停止をせざるを得なくなったのです。

 苦境に立たされたバルディ、ベルッツィは倒産し、フィレンツェの経済は大混乱を招いてしまいました。フィレンツェの政治も混乱を極め、一時的に民主自治の制度を放棄するという事態も招いたのです。さらに追い討ちを掛けるようにペストが猛威を振るったのです。

 地中海諸島に広がったペストは1348年にヨーロッパ全域に広がりました。フィレンツェの北で医薬業を営んでいたと思われるメディチ家は、ペストの治療薬により莫大な財を築いたとのではないかとの説もありますが、有力商人となったメディチ家は1397年に自身の銀行を設立し金融業に進出したのです。バルディ、ベルッツィなどの商会がイングランド王などを相手にした貸付で失敗し、倒産したことなどにより、メディチ銀行は大銀行に躍り出ます。

 メディチ銀行はローマやベネチアなどへ支店網を広げ、情報のネットワークを構築し、国際的な信用機構も作り上げました。また、ローマ教皇庁会計院の財務管理者ともなり、教皇庁の金融業務で優位な立場も得たことで、目覚しい発展を遂げることになります。当時の王室や教会などの支配階級にとり、金融のスペシャリストである銀行家はなくてはならない存在となっていたのです。

 ただし、当時のキリスト教は利子を取ることを禁じていました。このため利用されたのが外国為替取引です。利子はアジオと呼ばれた異なる通貨の換算率の中に含まれ、手数料という名目で利子を取っていたのです。

 メディチ家は銀行家として成功を収め、さらに政治にも進出しました。家門の中からローマ法王を二人輩出し、のちにはトスカーナ大公国の君主となりました。また、ルネサンス期の様々な芸術家たちのパトロンとなったことでも知られています。

 メディチ銀行はバルディ、ベルッツィの破綻を教訓に、事業の分権化を図るなど一部地域の破局の連鎖を食い止める策を講じたものの、フランスのイタリア進行によりメディチ家の全財産は没収され、メディチ銀行も倒産という憂き目にあうこととなります。




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by nihonkokusai | 2011-10-07 16:14 | 金融の歴史 | Comments(0)
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