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牛熊ゼミナール金融の歴史第2回 古代のギリシャ・ローマ・中国の貨幣制度

 紀元前6世紀頃のギリシア期において、貨幣使用を中心とした貨幣経済化が進みました。世界で始めて鋳造貨幣を造ったリディア人によりギリシアに貨幣がもたらされ、各ポリス、地域ごとに貨幣が発行されました。貨幣制度の普及により、商業が盛んになり商業に従事する富裕な平民もあらわれたのです。

 さらに紀元前4世紀に行なわれたアレキサンダー大王の遠征により、東西交易が活発化し、遠征によりペルシアの金銀が大量に持ち込まれたことで貨幣が増加するとともに、ギリシアの貨幣が中央アジアやインドにも伝わったのです。

 ローマでは、ローマ最古の成文法と言われる十二表法(BC450年)に罰金などが銅の重量単位で表されていましたが、鋳造貨幣が作られたのは紀元前3世紀頃と言われています。紀元前46年頃にカエサルのもとで行なわれた鋳造策などによって、貨幣体制は整ってきました。

 ローマの初代皇帝となったアウグストゥスは、紀元前23年にマエケナスに命じて通貨制度改革を実施し、ローマでの貨幣体系が確立しました。1アウレリウス金貨と25デナリウス銀貨、そして100セスティルティウス銅貨マエケナスの価値を同じものに固定しました。アウグストゥスは金貨、銀貨の発行権は独占しリヨンで発行されたものの、銅貨については元老院に発行権を残しローマで鋳造されてきました。

 これ以降、デナリウス銀貨は次第に地中海世界に広く流通いるようになりました。ローマの金貨がインドに流出するようになり、またシルクロードを使った東西交易が行われたことで、ローマの貨幣は現在の中東からアジアでも発見されています。

 ローマ帝国の収入は主に属州からの税でしたが、それだけでは巨大な軍事費や貿易に関わる費用などは補いきれず、不足分はスペインの銀山から産出される銀に頼っていました。3世紀ころから、皇帝たちの争いで国が乱れ、軍事費の増大などの支出が拡大し、さらにスペインの銀山の産出量が減少しインフレが進行しました。しかし、3世紀後半になるとむしろ金利の低下現象が起きており、インフレというより当時の主力産業である農業への年意欲の減速でデフレが進行していたのではないかと塩野七生氏は「ローマ人の物語」で指摘しています。

 カラカラ帝はデナリウス銀貨2枚に相当する新しい銀貨を発行しましたが、これがカラカラの本名にちなんでのアントニニアヌス銀貨と呼ばれているものです。この銀貨の銀の割合はすでに50%程度に低下していましたが、それからさらに半世紀以上経過した際には5%以下になっていました。四分割統治で名高いディオクレティアヌス帝は、通貨の改革を行い、通貨の安定を図る目的で301年に1000品目以上の物品やサービスについて最高価格令を発布しました。

 4世紀にはローマにおいてソリドス金貨、シリカ銀貨、フォリス銅貨などが発行されましたが、銅貨は次第に小さくなり、1グラムを切るものまで出てきました。312年にコンスタンティヌス大帝が発行したソリドス金貨は長い期間に渡り高い純度を維持し、その後11世紀末まで東地中海世界の標準貨幣として使われました。ノミスマとも称されたソリドス金貨は中世のドルとも呼ばれているように当時の基軸通貨となっていました。また、中世フランスや南米などで使われた通貨ソル(Sol)、中世イタリアで使われたソルド(soldo)、中世スペインで使われたスエルド(sueldo)などはこのソリドス由来するとされ、ドルのマークが$であるのも、ソリドス(Solidu)にあやかろうとしたものとも言われています。

 395年、ローマ帝国は東西に分裂、これ以降再び統一されることがなく、476年には西ローマ帝国が滅亡しました。11世紀になると東ローマ帝国は異民族との争いに加え内乱が続発し、封建化の進行などによって皇帝領が減少し国庫が困窮化しました。このため、金貨の品質を低下せざるをえなくなり、90%以上の純度のあったソリドス金貨は、1080年あたりになると30%程度に純度が低下し、1092年についに発行されなくなったのです。

 中国の最初の鋳造貨幣は、春秋戦国時代に作られた貝貨のような形をした蟻鼻銭(ぎびせん)と言われています。その後、中国では現在日本で使われている五円硬貨や五十円硬貨のように円の中央に丸い穴があいている円形円孔貨や、中央に四角い穴があいている円形方孔貨などが使われました。

 これらの貨幣は中国各地でバラバラに使われていましたが、紀元前221年に中国を統一した秦の始皇帝は、秦で用いられていた環銭の形に銭貨を統一し、すでに発行されていた「半両銭(はんりょうせん)」という円形方孔貨に統一されることになりました。この秦の半両銭には半両という漢字が刻まれていますが、ちなみに半両の両とは重さの単位です。

 ただし、実際に中国で「半両銭」による貨幣統一が実現したのは、秦王朝の滅亡後の漢王朝になってからでした。つまり楚の項羽との覇権争いに勝利した高祖・劉邦に引き継がれたのです。漢王朝は貨幣の鋳造を民間に委ね、「半両銭」への貨幣統一を実現しました。これには民間の銅製武器を銭に変えるという効果もあったようです。 118年に前漢の武帝は、半両銭に変る「五銖銭」を発行しました。この「五銖銭」はその後、唐で641年に「開元通宝」が登場するまで、約700年余りにわたり通用し、中国史上最も長期にわたり流通した貨幣と言われています。

 そして618年に建国された唐の時代に鋳造・発行されたのが「開元通宝」です。10銭が24銖、1両と同じ価値とされ、これ以降、貨幣の名称は重さではないものが刻まれてゆきました。「開元通宝」も唐の時代を通じて約300年間鋳造されました。「開元通宝」は日本の「和同開珎」のモデルとも言われ、日本を含めた東アジアに影響を与えました。

 このように。古代において「ソリドス金貨」や「五銖銭」、「開元通宝」などの通貨が数百年にわたり使われていたことはたいへん興味深い事実です。何故、これらの通貨は数百年にわたって信用を得ていたのでしょうか。2007年以降の世界の金融危機を見ても、信用が崩れさるのはあっと言う間であり、その信用を長きにわたり維持させることは並大抵のことではありません。信用維持のための対策としては、もっと昔に目を向けてみると、あらたな発見があるかもしれません。


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by nihonkokusai | 2011-09-28 14:48 | 金融の歴史 | Comments(0)
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