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「金融政策を判断する難しさ」

須田日銀審議委員は12月1日の東京大学における講演で、金融政策を判断する難しさ、そしてそれを伝えることの難しさについて次のように述べていた。

「判断の難しさについては、金融政策の効果が現れるまでのタイムラグがその背景にあります。つまり、経済・物価の先行きを的確に予測し、政策を実施した際のメリット、デメリットを勘案した上で、最も適切と思われる政策をフォワードルッキングに実行することが求められます。これが、幾つかの前提を置いて理論を構築し、過去のデータを用いて検証すれば良かった学者時代との大きな違いです。先行きが不確実な中で判断を迫られる上、前提が違ったからといった言い訳も許されません。また、日本の住宅バブルや先般米国で起きた金融危機でもわかるとおり、何年も後になって、あの頃の金融政策が失敗だったと批判されることもあります。このように、実際に政策を判断する際には、かなり先までの経済・物価の姿やリスクを見通した上で、まさに決断が毎回求められるのです。」

これは実際に金融政策を決断するという立場にいる人間でなければ、実感として言葉にできないものであろう。特に須田委員は学者出身であることで、学者と政策決定者との違いを明確に述べている。「前提が違ったからといった言い訳も許されません」との表現に、政策決定者の責任の重さも現れている。学者出身であるバーナンキFRB議長も同じような思いを胸にしているのかもしれない。

日本の議員の中には、日銀の金融政策に対して踏み込みが足りない、日銀法を改正させてまで、政府の言う事を聞くようにさせるべきとの声がある。特にリフレ派と呼ばれる人たちにとり、日本経済回復のためという理由で、過度な金融緩和を求める声も強い。しかし、その前提となっているのはあくまで、それぞれの理論によるものであり、その結果について責任を持っているわけではない。

しかし、政策決定者にはその責任が求められるため、その効果について不透明であり、あまりにリスクの高い政策を取ることは困難である。現場にいて責任ある立場に置かれる決断と、その結果に責任を負う必要のない立場の人からの発言については、どちらが正しいかというよりも立場の違いを意識して聞く必要がある。

さらに、伝えることの難しさについて、須田委員は次のように述べている。

「いろいろな立場の全ての国民に対して、日本銀行は、政策を変更する・しないに係らず、なぜそう判断したのかについての説明が求められるわけですから、情報発信は決して簡単なものではありません。加えて、政策当局者の発言は、常に政策とリンクして受け取られます。それだけに発言のひと言ひと言が重い意味を持つということも、学者時代との大きな違いです。」

この発言については同じ政策決定者の立場にいる大臣クラスの政治家なども肝に銘じてもらいたいものである。大臣のような立場のある人間は、少なくとも公の席で発言する際には、発言のひと言ひと言が重い意味を持つため、失言は許されず、また失言があればそれ相応の責任を取ることとなるのは当然であろう。

「発言をする際には、市場の受け止め方、過去の言動や投票行動との整合性、政策的なインプリケーションなど、様々な要素を検討しなければなりません。このように、細かい言い回しまで慎重に吟味され、かつ中長期的な視点に立った政策委員の発言は、足もとの経済・物価情勢の変化に比べてトーンがmoderateで、ともすれば、見方が甘いのではないかといった批判に繋がることもあります。こうしたコミュニケーション・ギャップを埋めるためには、政策意図や判断の背景にある経済・物価情勢の見通しについて、前提条件も含めた丁寧な説明を地道に続けていくしかないと思っています。」

このあたりも難しい問題を含む。足もとの経済・物価情勢の変化に比べてトーンがmoderateになってしまっているとの批判については、須田委員自身が感じている部分なのであろうか。ただし、このあたりはそれぞれの委員によって見方に個性を出しても良いようにも思う。日銀が一丸となって政策を決定することも重要であるが、見方が均一化してしまうと、金融政策を多数決で決める意味そのものがなくなってしまう。それぞれの委員のバッググラウンドなどの違いをより反映した見方を示すことにより、説明がむしろわかりやすくなるという利点もあるのではなかろうか。
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by nihonkokusai | 2010-12-04 12:45 | 日銀 | Comments(0)
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