「1998年以降の長期金利2%の壁」
2%に接近したのはたとえば2000年9月の1.990%、2004年6月に1.940%、2007年6月に1.985%があったが、それぞれ2%が壁となって跳ね返された。反対に最も長期金利が低下したのが2003年6月の0.430%である。
日銀は1999年2月にゼロ金利政策を導入したが、2000年8月にゼロ金利政策を解除した。しかし、2001年3月に更量的緩和政策を導入せざるを得なくなった。この背景にあったのが、景気と低迷とともにデフレ圧力の強まりであった。
デフレそのものは安全資産である国債への買い圧力に繋がるだけでなく、量的緩和政策の導入より日銀が積極的に資金を供給し、その資金の多くが国債に向かったのである。これによって大手銀行などを主体に国債保有額が増加した。さらに日銀は量的緩和策の一環として国債買入を増額したことで、これも国債需給にとりプラスに働いた。
それでは、1999年2月以降の2%台乗せもしくは2%に接近した際の要因を確認してみたい。
1999年8月に2.040%をつけたときには当時の小渕首相が1999年度第2次補正予算の編成を柱に積極的に景気を下支えしていく考えを打ち出したことなどが要因となった。
2000年9月につけた1.990%は、8月に日銀がゼロ金利政策を解除したあとだけにやや神経質となったことでつけた。
2004年6月に1.940%をつけた背景には景気の回復があった。
2006年4月に2.000%をつけたのは3月に日銀が量的緩和政策を解除しており、また米10年債利回りが3年10か月ぶりに5%の大台に乗せてきたことなどが背景にあった。
2006年5月に2.005%をつけたのは日銀によるゼロ金利解除の可能性が強まっていた事などが要因となったが、日銀は翌7月にゼロ金利政策を解除している。
2007年6月に1.985%をつけたのは米長期金利が5%台に乗せてきたことなどが材料視された。
このように日銀の金融政策や米長期金利の上昇などが要因とはなったが、その多くに海外ヘッジファンドによる売り仕掛けがあったことが指摘されている。日本国債の需給悪化を主たる材料に、海外ファンドは幾度となく日本国債への売りを仕掛けてきたが、結局は長期金利の2%という壁に跳ね返されてきたのである。
国債の発行残高は増加し続けているが、いまのところ日本国債の需給が揺るぐことはなかった。日本国債への信認がとりあえず維持され、国内資金でしっかり賄えていることが要因ではあるが、果たしてそれがいつまで続けられるのか。ここ10年以上も長期金利の2%が防波堤のような役割となっている。しかし、それが決壊し長期金利が2%を超えて大きく跳ね上がったときこそ、真の意味での国債需給への危機が訪れたということになりそうである。